「トシ〜、お妙さんからチョコ貰っちゃった!!」
バレンタインデーを翌日に控えた夜、真選組局長である近藤は、締りのない顔を普段以上に綻ばせて、土方の部屋で小さな小箱を振り回していた。
可愛らしくラッピングされたそれは、確かにバレンタイン用のチョコレートだったが、リボンに差し込まれたカードには、彼女の勤める店名がでかでかと書いてある。営業用のチョコであることは間違いようもない。
「こここ、コレってオッケーってこと!?」
「それって完璧営業用だろ……」
大きく溜息をついて諭してやると、彼はみるみるうちにしゅんと項垂れてしまった。その様子がまるで自分に懐く大型犬のようで、土方はその頭をぐりぐり撫でる。
「でも営業用でもくれたってことは、また店に来てくれってことだろ?いいことじゃねぇか」
にかっと笑って見せれば、近藤は「そうだな」と頷く。
「……俺はお妙さんにとってただの客かもしれないが、それでも俺は、彼女がチョコを用意してくれただけで、本当は十分なんだ」
柔らかく微笑む幼馴染みの表情は、今まで一番近くに居たはずの土方でさえ、初めて見るものだった。
「近藤さん、アンタはお妙さんと出会って変わったな」
「ん?」
「今まで以上に男前になったよ」
彼を変えた女性への嫉妬と、幼馴染みの幸せへの喜びと、そのふたつを乗せた手でもう一度、彼の髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。
「銀さん!」
珍しく午前中に活動をし始めた、自称・愛の狩人は歩き慣れたかぶき町の一角で呼び止められた。
「おお、おはよう」
振り向けば、何かと絡んでくる女忍者のさっちゃんが、息を切らせて佇んでいる。その手にはでかでかと存在を主張する茶色の物体。それを目ざとく見つけて、にこりと微笑む。
「ぎ、銀さん!…今日、何の日か知ってる?」
「ん〜?何の日だっけ?」
白々しくそう返答とすると、顔を真っ赤にしたさっちゃんがけたたましく捲くし立ててきた。
「バレンタインよ、バレンタイン!!愛を贈る日よ!!――コレ、私の愛が詰まったチョコレートよ。食べて」
彼女が手渡したのは、正真正銘、銀時の好物であるチョコレートではあったが、一般的に出回っているものとはかなり違っていた。
「1/10さっちゃんチョコよ!!」
それは忠実に彼女をかたちどったディテールで、その精巧さにさすがの銀時も少し引いた。
「さぁ、私を食べて!」
がばりと飛び掛ってくる彼女を避けて、銀時は踵を返す。チョコは有難く頂くが、本物は何かと面倒そうなので願い下げたい。着地地点を失った彼女は、そのまま地面へと落下した。
「ぎ、銀さん、待って!」
寛一お宮のように、地に這い蹲ってでも自分を呼び止めるさっちゃんに、銀時は苦笑しながら首だけで振り返る。
「チョコありがとね♪家でゆっくり食べるから」
ちゅ、と1/10さっちゃんの顔に口付けを落として、その場を去った。
「へへ、一つ目ゲーット!」
愛の狩人は、より多くのチョコレートを求め、かぶき町の町へ消えていく。
「あああ、もっと苛めて…」
一人残されたさっちゃんはというと、待ち行く人の視線も気にせず、そのまま身悶えていたのだった。
世間はバレンタインデーというイベントだとしても、江戸の町を守護する真選組には関係ない――と思いきや、土方が一足町に出ると、たくさんの女性に囲まれた。それは見廻りを共にする総悟も同じで、隊士一、二を争うの美形の登場にその場に居る女性のボルテージも上がる。
ぐいぐいと押し寄せる女性の波にたじろぎながらも、土方は声を張り上げた。
「俺らは幕府の人間だ。一般人からの貢物は一切受け取らない!」
「いえいえ、個人的に渡しているのですよ」
「俺個人の意見としても貰うわけにはいかない。俺は甘いものが苦手だ」
「ええ〜?そんなぁ」
「ひどいわぁ、副長さん!」
断るために言葉を紡いでも、それは逆効果のようで、周りを囲う女性陣はどんどん積極的になってくる。ここは口の達者な総悟に、と振り向いて助けを求めようとしたが、そこに彼の姿はなく、この混乱に乗じて見廻りをサボったと知らされる。
「あんの野郎ォォォ!!」
「副長さん、受け取ってぇ〜〜」
「私も〜〜!!」
結局、恋する女性のパワーに敵わなかった土方は、全て個人的に受け取るということにしてその場を山崎に任せた。きっとモテない隊士たちがいくつか持って行ってくれて、それほど自分の元に残らないとは思うが、それでも甘いものを苦手とする土方にとってはあまり嬉しくない事態と言えた。いくらチョコレート業界の戦略とは言え、好きな者に気持ちを伝えるならば何もチョコレートでなくともいいだろうに。
「あの野郎が喜びそうなイベントだ」
糖分をこよなく愛する男。彼の吐く言葉は全てチョコレートのように甘さを含んでいて、土方は苦手だ。
(朝から回収に出て回ってたり、な)
一見はちゃらんぽらんな男だが、芯はしっかりと通っていて、彼を慕う奴も多い。きっと両手一杯のチョコレートを手にして、満足気に笑っているのだろう。綺麗にラッピングされた小箱。赤やピンクのリボンが情愛を訴えて健気に揺れる。
でも。
(そんな可愛らしいもの、あいつには勿体無ぇだろ)
土方は吸っていた煙草を捨て、コンビニのドアをくぐった。
面倒な見廻りをうまく抜け出した沖田が町をぶらぶらと歩いていると、何の面白味のない風景に見知った姿を見つけた。
「ここで何してやがんでィ?チャイナ娘」
何かと縁のある万事屋に居候をしているこの少女とは、気が合うのか合わないのか、いつも度の過ぎたじゃれ合いをしている。時には命を賭けて。
この地域は、彼女の住処であるかぶき町からそう遠く離れてないが、ここで彼女を見るのは初めてだった。
「………」
もしゃもしゃと、神楽は好物の酢昆布を食していた。が、ふわりと匂う甘さはあの独特の香りではない。
「なんでぇ、この匂いは?」
「チョコ酢昆布アル。都こ●ぶもバレンタイン商戦に乗ってきたアル」
「それは乗れてんのかねィ…?」
沖田は神楽の手の中にある赤い箱から一枚拝借した。甘い匂いと鼻を突く酸い匂いが、混ざってよくわからない。ミスマッチもいいところだ。
そのまま口に放り込んで咀嚼しても、反する味は互いに主張するばかりで、一度も交わることなく終わった。
「こりゃ失敗だね」
「食ったアルな?」
ごくりと嚥下する音を確認して、チャイナの少女は笑った。
「ホワイトデーは3倍返しネ。期待してるアル」
ふわりと踊るように帰っていった神楽に、沖田はやられたと天を仰いだ。
日も暮れたころ、銀時は両脇にそれぞれ大きな紙袋を抱えて帰ってきた。中身は勿論、今日、必死に集め歩いたチョコレートである。知り合いだけは多い銀時は、無条件に糖分を貰えるこの日(この認識自体間違っているが)かぶき町を練り歩き、各人にせびり、戦利品を手に入れてくるのである。
「やー、銀さんモテ過ぎて困るね!」
「何言ってるんですか、アレだけ大声で強請り歩いて。こっちが恥ずかしいですよ」
買い物先でその姿を見つけた新八は、上司のプライドの低さに泣きかけた。
「うるせぇなァ…。くれるってんだから貰って何が悪いよ?俺だって義理だってことぐらいわかってるよ!―それでも糖分自体に罪はねぇだろォ?今夜はチョコの海に溺れて寝てやるぜ!!」
「…どうぞ。糖尿に拍車が掛かっても知りませんからね」
静かにお茶をすすった新八は、銀時が広げたチョコレートの山でひときわ目立つ1/10スケールさっちゃんに、上司と同じく軽く引きつつ、でもお通ちゃんのフィギアチョコなら欲しいなぁと考えていた。
しばらくして、玄関が開かれる音が聞こえた。
「ただいまアル」
「あ、お帰り神楽ちゃん」
定春を連れて帰ってきた彼女は、何故かひらひらと手を振っている。
「銀ちゃん、郵便受けにこんなものが入っていたアル」
振られた神楽の手の中には、普段でも見掛けることの出来る板チョコがあった。
そして何のラッピングもされていないそのパッケージには、一言「坂田へ」と乱雑に書かれていた。
「……何コレ?バレンタインにしては質素すぎません?」
「ああ、それ俺の本命さんからだわ」
その胡散臭さに困ったように視線を向けると、宛名の本人である銀時は柔らかく笑った。
「え、ええ?」
「神楽サンキューな」
一回り小さな少女の手から板チョコを受け取った彼は、そのまま外へと向かう。
「じゃ、銀さんちょっと出掛けてくるわ」
「ちゃんとお礼言うアルよ?」
「勿論です!」
神楽の母親みたいな台詞に、にかりと笑顔で答えた銀時は足早に万事屋を後にした。
「銀さんって本命いたんだ…」
「新八、チョコの山アル!」
すっかり暗くなった外に向かって呟かれた言葉に、神楽の嬉しそうな声が重った。見れば居間に広げられた大量のチョコレートに、食欲旺盛な少女は目を輝かせている。
少し考えて、新八は言った。
「神楽ちゃん、それ全部食べていいよ?」
――あの人には、一番甘くて美味しいチョコレートがあるみたいだし。
春日 凪