彼が俺に寄越す視線は、単純に生徒から教師に向けられるそれではなく、こちらを如何にして破滅させるかを画策するような性質の悪いものだった。
そして、俺が彼に向ける視線もまた、生徒をどうやって蹴落とそうかと考える聖職者に有るまじきものだった。




いつの間にか心の奥に巣食ってしまった感情を素直に口に出すのには状況がいささか悪すぎた。学校という閉鎖された空間、教師と生徒という立場、そして同性同士。リスクは数え切れないほど挙がるというのに、それに見合った利が見込めないのであれば自ら行動する理由がない。それはお互い様で、年下のくせに賢い彼はその若さ故の激情に流されることなく無言を貫いていた。
そう、俺たちは相手を自分の懐へ引き込むことだけを考えている。焦れて先に動いた方が負け。禁断の実に手を伸ばしたリスクを一手に背負うことになる。教師としての立場を、生徒の有望な未来を、先に投げ出すのはどちらか。絡む視線にじりじりと焦燥だけが胸を焼く。

「先生、ここ教えてください」
国語準備室は俺の根城だ。勉強を教えてもらうという名目で入り込んだ生徒は、俺の背後にぴったりと身体を寄せて囁いた。
「ん?どこ?」
使い古された問題集を受け取って苦笑する。何度も見たはずの文章。こんな問題、彼に幾度となく説明してやった。そんなこと彼自身が一番分かっている。彼が求めているのは問題の解説ではなく、俺の動揺だ。
「ここです。せんせい」
生徒が上体を屈め、そっと俺の耳元で唇を動かす。生温い吐息がふと髪に掛かり、揺れた銀糸と重なるように心音が乱れた。年端も行かぬ生徒に、たったこれだけの接触でどきりとさせられてしまう自分の浅はかさを呪いたくもなるが、それ以上に憎たらしいのはこの生徒自身だ。
「お前なー、ここホント苦手だな。貸してみ?」
「!?」
俺はシャーペンを握っていた彼の手を掴むと、その上から重ねてやった。
「こうやって文章中のキーワードに線を引けって言っただろ?主人公の感情がどう動くのか…、順に追っていけば…、ホラ、わかるだろ…?」
重ねられた掌の熱。そして含みを持たせた俺の視線。教科書から目を外し、こちらを見下ろした彼の顔に一瞬だけ見えた戸惑いに、再び形勢は元に戻ったことを知る。時が止まったように俺たちは互いを見詰め合い、瞳の奥の激情を煽っている。
「人の感情を読むのは苦手なんで」
生徒が年に似合わぬ艶やかな笑みを浮かべる。
嘘を吐くなよ、誰よりも早く的確に俺の心を読んで試しているくせに。
「今度から自分で考えろよ。俺は答えを教えるのは嫌いだからな」
俺も意地の悪い笑みを浮かべて応えた。
こちらから何かを与えてやるつもりはない。賢い頭で考えて次の手を打ってみろ。


神経を焼き切るような緊張感。張り詰めた空気の中で響く笑い声はどちらのものか。

春日 凪





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