<06>
真選組という役割が与えられてからは、毎日が高速で過ぎている。四季の移ろいなど楽しむ暇もなく、気が付けば手が悴む冬が、汗が滴る夏が、と目まぐるしく変わっていく。街は先日まで柔らかで心地よい風が駆け抜けていたはずなのに、いつの間にか大地をじりじりと焼く夏の日差しの独壇場となっていた。

土方はいつものように午後の見廻りの最中だった。一緒に行くはずだった沖田は姿を晦まし、結局ひとりで回っている。
ちりん、と何所かで風鈴が鳴った。街角の茶屋は夏のメニューへと衣替えを図って、軒先に氷や冷やし飴の垂れ幕を掲げている。どちらも、あの男が好きそうなメニューだと思い至って、何事も彼へと結びつける自分の思考に溜息を吐いた。馬鹿な思考は暑さのせいだと言いきれない理由ぐらい土方自身がよく知っている。

屯所に程近い茶屋に、彼は居た。日除け用の唐傘の影に居ても、彼の銀色の髪はにぶく輝きを放っている。手元に置かれた氷菓子が暑さでくしゃりと潰れたのと同時に顔が上げられた。
「おかえり」
見廻りを終えて屯所へと戻る道中。炎天下の街を歩き続けた身体。目の前にあるのは涼しげな氷菓子を出す茶屋。土方の足がその店で止まるのも仕方のない話だ。そこに居合わせる男とは何の関係もない。たとえ、沖田が彼に見廻りルートをバラして待ち伏せされていたのだとしても、土方には何の関係もない。ただ今日は暑いから休憩するだけだ。
「てめーの分は自分で出せよ」
「高給取りのくせにケチんなよ」
今年の夏は、こんな遣り取りが何度繰り返されるのだろう。
土方は雲ひとつない青空を見上げて罵った。

「嫌な季節だぜ」

春日 凪




<07>
渾身の力を込めて抜いた刀身はにぶい銀色の光を放っていた。
混沌とした終わりの見えぬ戦場に、終焉となる一閃を走らせた切っ先は視界の悪い土煙の中でも一際輝いて映った。まるで、どんなときにも信念を曲げぬあの男のように。

参謀という幹部クラスの反乱は真選組に多大な爪痕を残した。実害だけではない、誰も望んでいなかった苦渋の結末は隊士たちの心に大きく圧し掛かっている。
騒動の中心に居た土方もまた然りだった。彼の場合、妖刀の呪いのこともあって実に不本意な立ち回り方をするしかなかった。もしも自分が妖刀に意識を乗っ取られたりしなければ、また違った結末があったかもしれない。過去を悔むことを好まない土方が珍しく己を責めた出来事だった。
伊東を斬った刀は今も土方の傍にある。何かといわくつきの代物だが手放す気はなかった。あの男の命を、生き様を刻みつけた刀をこれからも使い続けることが自分なりの供養だと思ったからだ。途中で道を違えてしまったとはいえ、共に戦ったのは紛れもない事実であり、いくら憎み合っていようと彼は真選組の仲間だった。


うつらうつらと夢の波間を漂っていると俄かに人の気配を感じた。布団に潜り込ませた身体のすぐ傍、添い寝をするような形で誰かがいる。重い石のようになった瞼をゆっくりと上げれば、闇に浮かぶ銀色だった。
「……?」
鋭い光沢を放つ白銀に先日の記憶が呼び起こされる。初めて抜いた新しい相棒の刀身は何色にも染まらずただ白く輝いていた。
「万事屋…?」
「いんや。お前お望みの萌え系美少女」
「………」

まるで天に定められた運命のように、決して土方の手から離れなかったいわくつきの妖刀が、目覚めると麗しい美女へと姿を変えていた。
その日から始まる穏やかで楽しい日々。彼女との生活は殺伐としていた土方の心を徐々に癒しいていき、ふたりは自然と愛し合うようになった。

「やべ、萌えてきたんですけど〜。……ってアホかぁぁぁ!!」
「うるせぇなぁ。夜中なんだから迷惑だろうが」
何が麗しい美女だ。土方の目の前に居るのは、その顔からもだらしない性格が伺えるようなピリッとしない男だった。捻くれた根性がそのまま表れた銀色の天然パーマをぽりぽりと掻き毟り、不法侵入をしている自分を棚に上げて土方の非常識を説くような奴だ。
「なんでてめーがここに居るんだよ」
「だから、お前が望んだからだって」
上体を起こした土方に、彼は寝転がったまま自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「………」
「望んだろ?目が覚めたら美女がなんたらこうたらって」
「だから誰が美女だ」
忌々しく吐き捨てると、彼はその言葉を待ってましたと言わんばかりに自信たっぷりと懐からあるものを取り出した。何処かのネコ型ロボットの効果音付きで。
「ホラ。萌え系銀ちゃんにゃー」
彼が取り出したのは黒い猫耳カチューシャで、もちろんカチューシャは男のふわふわとした銀髪の上に付けられた。
「死にさらせぇぇぇ!!」
再び土方の怒声が部屋に響き渡る。
「ネコミミつけりゃあ萌るだろ的な浅はかな考え方はやめてもらえるかな!?獣耳萌えと言っても奥が深くてだね……、はっ!」
「……………」
向けられる白い視線は、妖刀に意識を乗っ取られたときに十分過ぎるほど感じたものだ。正気に戻った土方は無意識のうちに口にしてしまった恥ずかしい発言を咳払いで誤魔化して、話の矛先を変えるべくじろりと男を見下ろした。
「で、なんでお前がここに居るんだよ」
「だからお前が望んだからだって言ってんだろーが」
これでは堂々巡りである。土方は大きく溜息を吐くと、彼の身体を蹴り飛ばして空いたスペースへと身体を滑り込ませた。
「ちょっと、酷くね?」
「うるせー。不法侵入者がよく言う」
背後で文句を垂れる男にぴしゃりと言い放つ。それでも彼は諦める様子もなく、後ろでぶつくさ愚痴を零している。安眠妨害だと怒鳴ってやろうと思ったが、時間の浪費なので止めた。
しばらく沈黙が続いて、外の風が心地よい音色を奏でているのが鮮明に聞こえた。静まり返った室内で、ぽつりと男が呟く。
「何か言うことがあるんだろ?だから出て来てやったのに」
「………」
抑揚のない声音。ともすれば冷たく響く口調も、その温度に救われた。もしあのとき、熱く語られたり優しく慰められたりしていれば、自分はもっと落ち込んでいただろう。己が犯した失態を他人から突き付けられて、屈辱に震えていたに違いない。
「万事屋(てめー)には感謝してる。近藤さんを助けてくれて、真選組を守ってくれて」
粉塵舞い散る戦場で、唯一の光だった。手にした刀身から放たれるその色だけが、信じられるすべてのものだった。仲間を斬るその瞬間、震えた手にあったのは紛れもなく銀色の光だ。
「俺も救われた」
この先、何度窮地に立たされるかわからない。ただはっきりしているのは、そのときにも手にはあの光があるということだけだ。
「いつもそんな素直だと可愛いんだけどな」
苦笑気味のその声には、どこか慈しむような色が含まれている。
背後の気配がふわりと消える。土方がゆっくりと振り向けば、そこには一振りの刀が転がっていた。

「今度は美女の姿で来いよ」

土方は小さく笑みを零し、ゆっくりと目を閉じた。久々に穏やかな眠りに就けそうだと思った。

春日 凪




<08>
木で出来たそれを握って頃はいつだって肉の感触は硬く、この手を痺れさせた。だが、成長と共に掴んだ、木刀よりもはるかに重い研ぎ澄まされた鉄の塊はそれらすべてを塗り替えるものだった。

滴るではなく、吹き出す。
折るわけではなく、断つ。

勿論、場所や刀の状態によっては簡単に人が斬れるわけではない。
だが、木刀とは明らかに違う。刀で斬るということはそういうことだった。

初めてその感触を味わった後、胃に収まっていたものをすべて吐き出していた。今の俺を知るものにすればそれは信じがたいことだろう。だが、紛れもない事実で、俺はそれが恥だとも思わない。むしろそうでない人間のほうが俺には異質に思える。

「別に木刀に拘ってるわけじゃねェんだろ?」

鉄でできた刀を持って、こいつが暴れたという話を聞いたことは何度かある。今回、紅桜とかいう刀を軽く通り越したものとやりあったときもとぐろを巻いた龍に見えなくもないがもっと別のものの方がしっくりくる柄をした刀で暴れたという話だ。

「馬っ鹿、お前、アレだぜ?この妖刀星砕はな、昔に俺が修学旅行で洞爺湖を訪れたときに愛用してた刀をうっかり落としたら、泉の精が出てきて「あなたが落としたのはこの金の刀ですか、それとも銀の刀ですか?」とか聞くから、俺の心の囁くままに「両方です」って答えた結果、「貴方のようながめつい人間にはこの木刀がお似合いです」とかって渡されたもんで、」
「作り話をするにしても、せめて美談にしろ」
「ンだよ。こっから面白くなるってのによォ」
「いやもうオチ寸前だっただろ。そして面白くなかっただろ」

笑えない漫才のネタのような話だ。残念ながら俺はそのツッコミ役を買ってやるほどお人よしではない。いや、それでも一応はツッコミを入れてしまったが。流しきれない自分が少し嫌だ。

「こちとら明日の飯にも困る身の上でな。あんな馬鹿みたいに金のかかるもんにつぎ込む余裕なんてねェんだよ」

お前貧乏だもんな、と何の感慨もなく言えば睨まれた。自分で言っておいたくせに、勝手な奴だ。そもそももっと真面目に仕事をする気があるなら稼げているだろうに。万事屋なんていう商売を好き好んでやっているのは目の前の男だ。

「買うだけでも馬鹿高い。定期的に鍛冶屋で鍛えなきゃすぐに鈍らになる。手間のかかることこの上ねェ」

ひょいと持ち上げられた木刀は安っぽく、そして軽そうだった。

「今の俺にはこいつで十分だ」

掲げた木の棒は確かに鉄の塊よりもずっとこいつには似合っている。

命をたやすく奪えないそれは肉の硬さを知らしめる。
俺がつい忘れがちになる感触をこいつは忘れないのだ。

拘っているのは俺かと気付いて笑った俺に、銀時は怪訝そうな表情を見せる。

こいつが木刀を好んで持つ限り、俺はあの感触を一生忘れないのではないかと思えた。

神田 なつめ




<09>
人を泣かせたいと思ったのは初めてだった。
俺は周囲から散々と「意地が悪い」「ドS」なんて言われてきたが、別に他人を貶めることに快感を覚えていて、それを目的としてきたわけじゃない。 俺の粗雑な行動や言動が相手を傷つけるのは不本意ながら事実だとしても、そこに俺の意志はなかったのだ。
ただ、今回ばかりは違った。
目の前で唇を噛み締める男の泣き顔を見たくてたまらない。漆黒の瞳から零れ落ちる一滴の雫を舐めとりたい。 不意に湧き上がった衝動に、俺は乾いた唇を湿らせる。
男は絶対に泣くことはないだろう。彼の強い精神と肉体は、俺に容易く打ち砕くことなど出来るはずもない。 だからこそ俺は彼を求め、彼を傷つけたいと思うようになったのだから。
だが、男は簡単に泣くだろう。俺が羨んだ彼の強い精神と肉体を蝕む一滴の毒を、俺は手にしている。

『好きだ』

甘美な毒は血流に乗って駆け巡り、身体中の機能を不全にさせる。男は崩れ落ち、はらりと涙を零した。


零れた一滴の雫は何よりも甘く苦かった。

春日 凪




<10>
「何が欲しいんだよ」
最近まで寝苦しい夜が続いていたかはずが、気がつけばいつの間にか虫の音が聞こえるほどに秋が深まっていた。りり、と微かな音色に混じって呟かれた言葉に銀時は一瞬きょとんとしたのち、「ああ、なるほど」と理解する。
部屋を漂う土方の吐いた煙の先に、10月という文字を刻んだカレンダーが映った。
どうやら事あるごとに理由付けて、たかっていた銀時に白旗を上げたらしい。突っ撥ねるほうが面倒だと判断した土方は、もうすぐ来る銀時の誕生日のプレゼントのリクエストを聞いている。
「どうせお前のことだから、甘い菓子でいいんだろ?」
老舗の和菓子屋か、または最近注目を浴び出した人気洋菓子店か。大福、ショートケーキ。ああ、秋の新作スイーツなんてものもあるか。土方から零れる言葉たちに、まるで雑誌の特集のようだとぼんやり思う。強面の彼が最近のスイーツ事情に精通しているなんて一体誰が想像するだろうか。実際、土方が好んで調べたわけではない。銀時が彼を連れまわす度、またはとりとめない会話の中で、その知識は蓄積されてきた。
優秀な彼の記憶の一部が自分の嗜好について占められる。その優越感を銀時は好んでいた。 「何が欲しいんだよ?」
彼は再度、そう問うた。
「言わない。当日まで必死になって考えろよ」
そう言うと土方は顔を顰めた。真面目で負けず嫌いな性格の彼のことだ、明日にでもデパートの地下に下調べに行くかもしれない。歪んだ表情を見て銀時は薄く笑う。
サプライズ的なイベントも高級なプレゼントも望んでいない。ただ、彼の記憶の中に自分に関する知識がひとつでも多く刻まれればいい。それが自分が「欲しいもの」なのだ。

潜り込んだ布団の中で、銀時はゆっくりと数をかぞえた。


(もういくつ寝ると)

春日 凪





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