今、跡部は少し調子が悪い。
「すべての人間を疎ましく思う瞬間がある」
今日、1人の準レギュラーが正レギュラーになり、また1人、正レギュラーから脱落した。悪い男ではなかった。協調性も人望もあり、何より努力をする男だった。だが、その男は最後にその評価をすべて無にした。男は引き際も知らず、言い訳を並べては自分を正当化し、敗北を認めようとはしなかったのだ。跡部はその行為を嘲笑し、男を軽蔑した。男はその跡部の態度に激昂し、様々な罵倒を浴びせた。
「そのとき、実際に俺が嫌悪しているのは俺自身に他ならない」
それは誰が見ても、負け犬の遠吠えであり、みっともなさに拍車をかけるだけの行為。跡部はもちろん平然とその男を完膚なきまでに叩き潰した。
だが、その一連の出来事の間に、彼の調子は狂ってしまった。
「自分というものがあまりにはっきり見えすぎて、心底嫌になる瞬間がある。だが、それを認められる強さが俺にはない。人が言うほど、俺は強くないんだ。俺は自分を誇らしいと思えるからこそ、俺でいられる。それが崩れてしまっては、俺は存在できない。存在したくない」
男の罵倒の中に跡部の心に深く突き刺さるものがあったのかもしれないし、跡部が男に突きつけた言葉の中に跡部の心をざっくりと切りつけるものがあったのかもしれない。もしかしたら、何もなかったのかもしれない。ただ、少し、そう、そういう気分になってしまう日だったのかもしれない。
「だから、問題を摩り替える。嫌いなのは自分ではなく、自分を汚く見せる人間だとする。たった一人が発端でも、疑心暗鬼に陥った俺は周囲の人間すべてがそうだということにしてしまう。そして、その瞬間に俺はすべての人間を嫌悪する」
誰かと話をする気すら失せていた。幸い、その男が負けたのは練習の最後で、1年が後片付けを終えるのを確認し、部誌を書けば、彼はすぐに解放された。樺地は跡部の異変に気づいたようで、何も言わずとも跡部を1人にしてくれた。
「お前にはそんな経験はないだろうがな・・・」
しかし、彼はそんな跡部の帰路でまるですべてをわかっていたかのように待ち構えていた。
「うん。ないよ」
突然に語りだした跡部にも彼は怪訝な顔すらしなかった。跡部の話をじっと聞き、
「でも、君がどれほど汚い人間だとしても、俺にとってそれはあまりに些細なことなんだ」
そして、一笑に伏した。
「いい加減、君はわからないといけない」
一歩、近づく。二歩、近づく。距離はどんどんと消失していく。
「君はこの言葉を理解しないといけない」
千石の手が頬に触れた瞬間、跡部は唐突に理由を思い出した。この陰鬱な気分の原因はあの重くて仕方がない一言だった、と。
男の眼差しは試合ですら見せたことのないほどの厳しいもので、彼がどれほどの悪意をそれに込めたのか、量り知ることは出来ない。だが、問題はそんなことではなかった。跡部はその男を少なからず認めていたのだ。共に闘う仲間だと認めていたのだ。
『俺はずっとお前が憎かった!!』
だから、剥き出しの言葉はあまりに重く、その重さが跡部の心を殴りつけたのだ。
跡部の同様を知ってか知らずか、千石は相変わらず油断の欠片もない笑みを浮かべたまま。鋭い眼差しは跡部を見つめ、少しも揺るがない。
「冗談じゃないよ。この言葉に嘘はない。すべて事実で真実で、そしてこれが俺のすべてなんだ。だから、君は耳を塞がずにちゃんと聞いて、理解しないといけないよ?」
諭すように千石は言う。しかし、どんなに優しい口調であっても、跡部に肯定以外の言葉を許させない強さがあった。
「ねぇ。跡部くん」
次の言葉で終わりだと、それだけはわかっていたが、それがわかってしまったため、跡部は目をそらすことも、指を動かすこともできず、人形のように立っていることしかできなかった。
「あとべくん」
おそらく故意にだろう。千石は一語一語をはっきりと発音して、もう一度跡部を呼んだ。
そして、笑みを深める。
「俺は君が好きだよ」
突きつけられた言葉はあの男の言葉とは比にならないほどはるかに重く、その重さは跡部の心を情けも容赦もなく、ずしりと──
殺すのだ。
神田 なつめ
真面目なせんべ。たとえ痛くとも、私の書くものの中ではかなり恋愛してる方。
題名の意味は『重くのしかかる。襲い掛かる』かなんか。