気が付けば辺り一面、白だった。


「あれ?」
足元に広がる白いふわふわした感触。まるで綿菓子のような地面に、俺は自分が雲の上に乗っていると気付いた。それと同時に非現実なこの状況が夢の中であるとも知る。現実世界ではありえない環境を素直に受け入れる自分と、それが夢であると知っている自分の、まるで二人の俺が居るようだ。夢の住人の俺は、何もない世界を前に向かって歩いていく。歩きにくいはずの綿状の大地は、何故かしっかりと足を受け止めて、スムーズに歩くことが出来た。
しばらくして、何もなかったはずの前方にふと人影が現れる。男のようで女にも見える。実際、俺の目はしっかりと人物を捉えているはずなのに、脳が認識できていない。周りの風景が曖昧なように、目の前の「人」も輪郭があやふやだった。それでも夢の中の俺は気にした様子もなく、彼に向かって話しかけた。
「おたく誰?」
「そなたの望みを叶えよう」
彼は俺の質問を無視して、低いのか高いのかわからない声で答えた。
「望み、ねぇ…」
唐突なのは夢なので仕方ない。そう、ここは夢の中なのだ。考えても意味がない。
「じゃあ恋人をください」
俺の口から滑り落ちたのは、そんな言葉だった。
「俺に従順で素直な可愛い子。俺のことが好きすぎて泣いちゃうくらい純情な」
条件を提示すると、彼は少し思案した後で「承知した」と告げ、消えた。その瞬間、足元の白い大地は消え失せ、俺の身体は宙に放り投げ出される。落下する感覚に、声を上げると、一気に意識が覚醒する。
「うおッ!?」
その声は、しんと静まり返った部屋に響いた。



「…落ちる夢って縁起悪いんじゃなかった?」
見慣れた天井は間違いなく自分の家のものだ。願いを叶えると言っておきながら、地上へ落とすなんて、相手はどれだけ鬼畜なんだと毒づいた。
寝返りを打って、身体を横へ向けると整った顔が視界へと入る。すうすうと寝息を立てるその無防備な表情が案外近くにあるのは、同じ布団に寝ているからだった。
「土方…」
俺は夢の中での台詞を反芻する。恋人が欲しいと言ったが、恋人は居るのだ。――恋人と呼べるかどうかは微妙なところだが。顔を合わせば、皮肉の言い合い。ヒートアップすれば抜刀まで至る始末。俺と土方との関係は、世間で言う恋人の甘さからかなり掛け離れている。それでも誘えば家に来る彼も、懲りずにちょっかいをかける俺も、気持ちは同じだと思っている。
「夢って深層心理って言うからなぁ」
俺の好みが、清純で可憐なお天気お姉さんなことを考えれば、彼が理想どおりの恋人と言えないことは明確だろう。俺はコイツのどこが好きなんだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、目の前の土方の瞼がぴくと動いた。ゆっくりと露わになる漆黒の鏡に俺が映る。
「おはよー」
朝の土方はいつも以上に冷たい。数時間前の熱い交わりが嘘のように、素っ気無い不機嫌な態度で、俺を凹ませる。
「……ん」
はず、だったのだが。
「あれ?」
クールモード全開でくるだろうと思っていた俺の予想はあっさり覆される。それどころか、逆にありえないリアクションで、俺に違ったダメージを与えた。
「な、なん…なんなのかな、この状況は…!」
まだ眠いらしい土方は、ひとつ欠伸をした後、自分から俺に身を寄せ、腕の中で再び目を閉じたのだ。そんな彼の反応に、ぞくぞくする。男の欲望半分、気味悪さ半分といったところか。
「ちょっと土方!俺、何かした?頼むからそんな仕返しは止めてくれよ!怒ってるなら口で言えばいいだろ〜」
「…なんだよ、うるせぇなぁ」
心地良い眠りを邪魔されて、土方が再び顔を上げる。その表情は険しい。普段どおりの悪態に安心してしまうあたり、日頃どれだけ冷たい態度を取られていたか自覚してしまう。少し甘えられただけで動揺してしまうなんて重症だ。それでも、いつもと違う土方は何か裏がありそうで気味悪さが先に立つ。
「お前、何か悪いものでも食った?」
「昨日はお前と一緒に飯食っただろ…」
噛み殺した欠伸のせいで目が潤んでいる。そんな無防備な顔、今まで一度も見せたことなかった彼が、今朝は怖いくらいに大安売りしている。
「そうだよな、ウン。昨夜は普通だったもんな」
布団に入ってからも、ああだこうだと文句を言っていた土方である。おかしくなったのは目が覚めてからだ。
「お前のほうがおかしい」
俺がうんうん唸っていると、今度は土方が訝しげにこちらを見た。
「何でそんな引き気味なんだよ?俺のこと好きじゃねぇの…?」
「………」
俺は驚きで言葉が出なかった。目を見開いてこの状況をどうにか処理しようと試みるも、俺の目の前の現実が未だに信じられない。土方が困ったように、そして少し悲しげに俺の反応を窺っている。
「銀時…?」
返事を強請る声音にはふんだんに甘さが含まれている。望まれている返答は容易く予想がついたが、何故か言葉が出ない。いつも戯れに口にしている言葉が。そんな俺を不審に思ったのか、土方がもう一度俺の名を呼ぶ。
「……えーと」
不安げに揺れる瞳に根負けした俺は、土方の身体をぎゅっと抱きしめた。
「お前は…?」
ずるいとわかっていながらも、同じ質問を土方に投げ掛ける。彼は俺の背中に腕を回して、甘えるように身体を密着させた。耳元で囁かれる愛の言葉。聞きたくて堪らなかった言葉だ。
「好き…、俺は銀時が好きだ…」
土方はこっちの心臓がきゅっと苦しくなるくらい切なそうに言葉を紡いだ。
「好きすぎて、どうにかなっちまいそうで…」
「――土方」
言葉に詰まった彼の瞳から透明なしずくがほろりと流れ落ちる。その姿に俺の胸はますます締め付けられる。はらはらと零れる彼の涙を指先で掬って、赤くなった目尻に軽いキスを捧げると、くすぐったいのか安心したのか、土方は小さく笑った。
「ぎん、…」
誘われるように赤く色づく唇へもキスを落とす。じゃれ合うように舌を絡めると、土方の鼻腔から抜けた微かな声が聞こえた。合わさった肌が熱を帯びる。逃げようとしているのかせがんでいるのか、腕の中でもぞもぞと動く土方の身体は、徐々に昂ぶってきているようだった。
「………」
可愛い反応。素直で従順で、快感に弱いピュアな身体。男なら問答無用で好きなタイプだ。
だけど。
「……ごめん」
俺は唇を離すと、一言そう告げた。
「え…?」
「土方のことは好きだけど、ごめん」
甘えん坊で儚げな土方も良かったけど、やっぱり俺はあの傍若無人で意地っ張りな土方が魅力的に映るようだ。
「どういう意味だよ!?」
「俺にもわかんねぇよ。でも俺はあの土方が好きなんだって再確認できた」
「………」
目の前の土方が今にも泣きそうな悲壮な顔で俺を見上げた。その顔は土方そのもので、俺がそんな表情をさせていることに自分自身でも歯がゆい。でも俺は、俺が好きなのは。
「帰る」
覆いかぶさっていた俺を押しのけて、土方は立ち上がった。彼の顔からは表情が消えていて、彼の鋭利さがいっそう際立っている。その抜き身の刀身のような危うさが俺の罪悪感を更に刺激する。どうしても放って置けなくて俺は着物を適当に羽織っただけの格好で帰路に急ぐ土方の後姿を追い掛けようとした。
「ひじ…!」
玄関を抜けて、急な階段を駆け下りようとしたとき、不覚にも俺は足を滑らせて、その身を宙に放り投げた。



「……あれ?」
来るべき衝撃はなかった。地面と対面するはずだった視界には、見慣れた天井が映っている。勿論、俺の家の天井だ。
横を見れば、今朝と同じように眠りに身体を明け渡す土方の存在がある。すうすうと立てる寝息まで、さっき見た光景と同じだ。俺は混乱した頭のまま、まだ夢の淵にいる土方の身体を揺さぶった。
「…あ?」
長い睫毛が数回、上下に揺れて彼の目が開く。無理矢理に意識を覚醒させられた土方は、不機嫌そうに俺を見た。さっきと同じ漆黒の瞳に俺が映る。
「何だよ…」
怒りに燃える地を這う声音。その低さにはっとする。
「お前、戻ったの…?」
「――はあ?無理矢理、起こしておいて寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ」
凶悪な態度、辛辣な口調。彼こそが俺が知っている土方だ。
ほっとしたのと同時に、あれほど言うのに困っていた言葉がするりと唇から零れた。
「…俺、お前が好きだわ」
「ッ…!?な、急に何を……」
素直じゃなくとも、従順でなくとも、俺はこんなにも土方に惹かれている。キツイ物言いも、常に寄った眉間の皺も、全てが土方を構成する一つで。全てひっくるめて俺は土方が好きなんだ。それはとてもシンプルで簡単なことだった。
「ぎゅってしていい?」
とりあえずは目の前の現実を、幸せを確認するために、抵抗する彼をしっかりと抱きしめて、赤くなった頬に軽くキスをした。



春日 凪



有り得ない設定は全て夢オチで逃げます。すみません…



夢の話