万事屋の男が提案したのは、馬鹿みたいに単純な作戦だった。
「人を服従させるために必要なものって何だと思う?」
「……弱みか?」
「それ以上に強固で単純なモンがあるぜ。――人の感情。他人にゃ理解できないことでも、自分が決めたことなら、どんなことにだって従うだろ」
ソファーに深く腰掛けた銀時は事務職を担っている眼鏡の少年――新八と言うらしい、から今回のターゲットである山田の書類を受け取った。
「副長さん男前だから何とでもなるぜ」
にやりと笑った男は、ひらひらと用紙を振り回す。その光景はまるで山田の運命を簡単に弄ぶかのようだ。
「奴を惚れさせんの」
「……!」
後ろで山崎が息を呑むのがわかった。土方も黙り込む。
「恋愛ほど簡単に熱くなるものなんてねーよ。それでいて実態はあやふやで不確か。そんな幻にどうしてか人はのめり込む……」
何の力も持たない『万事屋』が唯一手にする絶対的な武器。気付かぬうちに標的を自身の懐へ引きずり込む。気付いたころには、もうすでに身動きが出来なくなっているのだ。
「こんなにしつこく絡んでくるってことは、山田も何かしらアンタに執着してるってこった」
「それが恋愛感情だとでも言うのかよ?」
「そこまで断言できねーけど。でもベースがあるのとないのとじゃ、成功確率も違ってくるぜ〜」
それでも顔を顰める土方に、銀時は欺瞞的な表情を崩して柔らかく笑った。
「何も恋愛関係になれって言ってるわけじゃねぇよ。ちょっと優しい言葉を掛けて手玉にとって、こっちの陣地に引き込めばいい。だから後ろの秘書さんもそんなキツイ顔で睨まないでくんない?」
土方が後方を振り向けば、自分以上に硬い表情をした山崎がいた。ちらりとこちらを見た彼の目は止めるように言っている。心配そうに寄せられる視線をあやすように微笑んで、土方は銀時へ向き直った。
「勝算は?」
「8割。来週にはアンタの支配下に入ってるよ。その後は煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」
手にしていた書類を放り投げた銀時は、あとは副長さんの腕次第だな、と言って鮮やかに笑った。
その後は面白いくらいに銀時の言うとおりになった。彼の洞察力を素直に評価したくはないので、全ては自分の演技力の結果だと思いたい。以前までは何かと因縁をつけてくる山田をあしらっていた土方だったが、初めてまともに話を聞くと、彼は一気に動揺した。
「何を企んでいる?」と何度も連呼する彼に「もう意地の張り合いは止めよう」と告げると、山田はとうとう泣き出して、土方への思慕の情を延々と語り出したのだ。
今では敵対する組を抜けて、土方の傘下に入っている。と言っても、下っ端も甚だしい位ではあるが。柔和な態度を取って付き纏われるのを嫌がった土方に、銀時が提案したのだ。組織内での上下関係は厳しい。組織のトップである土方とたとえ幼馴染みと言っても親しい態度など取れるはずもない。それを見越した上で末席に加えたのだ。あちらからは土方へ接触することは難しいが、土方にしてみれば部下の動向として監視することも出来る位置だ。土方への情で忠実な手駒となった山田であった。
「何だか、うまく乗せられた気もするな……」
今回の報告書を持って『万事屋』の事務所を訪れた土方は、古ぼけたビルを見上げてそう零した。
エージェントの素性を知った土方を野に放すのは万事屋としても止めたかったに違いない。しかし今回の件で工作に一枚噛んでしまった土方を、万事屋に引き込めば秘密が漏れる心配もなくなる。山田を土方に任せたのは、そういう意図もあったのかもしれない。
それには薄々勘付いていた。しかし、土方は敢えて乗った。土方の中にも『万事屋』という商売に興味があった。坂田銀時という男と、肩を並べてみたかった。自分で動くのが面倒で仕事を押し付けたような形だったが、銀時は土方の隠れた欲求を見透かして話を持ちかけたような気もする。要するにまだ計り知れないのだ。
「とりあえずは流されてみるか」
土方はそう呟くと、満足気にビルの入り口をくぐった。
春日 凪
土方さん採用編