人の欲は際限がない。特にここ、新宿歌舞伎町では日常茶飯で失脚、復讐が当たり前のように起こっている。その欲望にちょいと手を貸してやるのが『万事屋』の仕事だった。仕事の内容上、表舞台に出ることはないが、人の欲が尽きぬ限り、万事屋への依頼もなくならないのである。
万事屋の事務的仕事を一手に引き受けている新八が、依頼人との交渉を終えて事務所へと戻ってきたのは夕刻を過ぎた辺りだった。この時間には、昼夜逆転の生活をしている銀時もさすがに起きていて、どこで買ったか知らないが夕刊を片手に朝食とも夕飯とも取れる簡単な食事をしていた。
「遅かったな」
「ええ、まぁ。――土方さんは……まだですか…」
「アイツも一応副長の顔があっからな。組のほうに行ってんだろ?」
歌舞伎町を統治する怖い自由業さん――つまりはヤクザだ――である土方十四郎をターゲットとした依頼が舞い込んだのは数ヶ月前の話。その後の展開から何故か万事屋の一員となってしまった彼も、今となっては組の幹部と裏家業を完璧に両立するまでになっていた。
「今日、報告書を上げてもらえる約束になってるんです」
「あァ、亭主の不倫相手を別れさて欲しいっていうセレブ妻の……」
「そうです。銀さん、貴方が蹴った依頼です」
「………新ちゃん、お茶」
苦し紛れの返答に、新八は溜息をつきながら席を立った。お茶は入れてくれるらしいが、小言は止めないつもりのようだ。てきぱきと動く手と一緒に、口も動く。
「ホント、土方さんにおんぶだっこは格好悪いですよ?言っときますけどあの人、副業ですよ。それなのに銀さんより稼ぎが多いなんて……」
「ばぁか、俺が稼がせてやってんの!土方くん、何か欲しいものあるって。えーっとトランペットとか……」
「いらねーよ、そんなモン」
しどろもどろな銀時の言葉を遮ったのは土方本人だった。
春先だと言うのに真っ黒なコートに身を包み、瞳孔開き気味、銜え煙草で登場する彼はどう見たって堅気ではない。一応、一般的な事務所を装っているここにその格好はないだろと何度かツッコミを入れたのだが、彼も聞く気はないようで、今では銀時も新八も放置していた。こういういい加減さが万事屋の味とも言える。問題が起きたらそのときに考えればいい。
「志村、悪いが俺にも頼む」
「わかりました」
部屋の隅に置かれた一口のガスコンロで湯を沸かしていた新八は、聞き分けのいい返事と共にカップをもうひとつ用意する。銀時が頼んで渋々動くときとは雲泥の差だ。
「オイオイ俺のときと態度違くね?そーゆーのやめようぜ。権力に諂うなんて格好悪い!」
「権力に諂ってるわけじゃありませんよ。エースと穀潰し、接する態度を変えるのは一般常識じゃないですか?」
にこり、満面の笑みで辛辣な一言を発した新八に、銀時は何も言い返せなかった。
「もう駄目だ、上司を敬えない会社なんて駄目だ……」
ぶつぶつと沈んだまま独り言を零す銀時を無視して、万事屋の『エース』もとい土方と新八の会話は続く。
「ホラ報告書だ」
「確かに受け取りました。これでひとまずは、落ち着けますね」
「そうだな、立て続けでちょっと疲れた」
毎日が満員御礼と言うわけではないが、そこそこに依頼は来ている。しかし、働き手の片方である銀時は、新人教育だとか適当な言い訳を付けて土方へ回していた。骨を折るような依頼はなかったものの、そろそろ目の前でだらしなくソファーに腰掛けている男に文句のひとつも言いたくなってくる。
「すいません、土方さん。組のお仕事もあるのに"誰かさん"のせいで依頼回してばっかりで…」
それは新八も同じのようで、土方を労わるはずの言葉には銀時に対する棘が含まれていた。銀時をフォローする義理もないので土方もそれに乗る。
「いや、"誰かさん"が仕事出来ないのが悪いんだろ。志村が謝るこたねぇよ」
「…………」
「そうですよね。ホント"誰かさん"の怠慢っぷりには呆れますよ」
「…………」
「大変だな、出来の悪い上司を持つと」
「……くぉらァァァァ!お前らァ、俺を馬鹿にしてんじゃねーぞ!黙って聞いてりゃ言いたい放題!!旦那がいない昼間にカフェで愚痴りまくる主婦ですか、コノヤロー」
「熟年離婚ってたいてい旦那に非があるみたいですよ」
「ぐっ…そこまで言われちゃ、黙ってらんねぇ。――新八!今日会ってきた奴の依頼、俺が受けるぜ!!」
一生聞くことはないだろうと思っていた自分からの仕事の申し出に、新八と土方は目を見合わせたが、少しして新八が困惑した面持ちで口を開いた。
「やる気になってくれたのは有難いんですけどね、今回は断ろうかと思って…」
「へ?」
「志村がそう言うの珍しいな」
土方の感想はもっともである。怪しげな依頼も無理矢理に押し付ける手法は銀時からよく聞いている。土方はともかく、銀時に容赦ない新八がエージェントの意見を聞く前に断ろうとするのはこれが初めてだった。
「いや、今回はいつもと勝手が違いまして」
「どういうことだ?」
「実は、依頼人がターゲットなんです」
「は?」
どんな無理難題でもこなしてきた銀時でさえ、新八の台詞には驚きを隠せなかった。
「彼は自分を陥れて欲しいと言ってきたんですよ」
新八の言い分はこうだった。
「今回の依頼人、石田五右衛門さんは歌舞伎町一のホストでしてね。ここ5年自店でも他店でも誰にも一度も売り上げで負けたことはないそうです。そんな毎日に嫌気が差して、刺激が欲しいんですって。自分の地位を脅かす、ライバルが」
「それで万事屋に?」
「まあ、冷やかしみたいなもんですよ。出来るもんならやってみろって、そんな態度でしたからね」
自信家の依頼人の態度を思い出してか、新八の口調も少し荒々しい。そんな彼の心情を表したように机の上に無造作に投げ出された書類を、銀時は拾って読み上げた。
「石田五右衛門――源氏名GOEMON。歌舞伎町最大のホストクラブ『反侍』のナンバーワンホスト。固定客には政財界の大物や芸能界のトップスターなど、有名どころが多い。最近ではトップアイドルに返り咲いた寺門通がお忍びで通う姿も……って、お前これで嫌ってんだろーが」
「ああああ、当たり前ですよ!お通ちゃんが、あんな男に入れ込んでるなんてっ…僕は、いったいどうすれば……」
優秀な部下からオタクモードにスイッチが切り替わった新八は、さめざめと泣いた。こうなってしまえばロクな話し合いも出来ないだろう。お通ちゃん…と、か細い声で何度も繰り返す哀れなその姿に溜息を吐くと、銀時は手にしていた書類を指で弾いた。
「ま、俺もこういう奴いけ好かねーけど」
重力にそってはらりと舞った一枚の紙は、ちょうど黒スーツの足元に落ちる。
「なァ、土方くん」
「……なんだ?」
地に落ちた視線を上げると、嫌そうに眉を顰めた土方がいた。それでも彼は律儀に返事をしてくれる。
「お前、暇?」
「また俺に押し付ける気かよ!?」
「違うって。ちょっと協力してくんね?」
にやりと笑う銀時の目は、人を食らう算段を立てた悪魔のように、魅惑的に輝いていた。
+ + +
「新人のトシです」
『反侍』に新しいホストが入った。最近では珍しい黒髪の純日本製の美形で、客の評判も上々、同時期に入ったホストの中では一番の売り上げを取ってはいたが、それでもトップクラスには遠い。高級シャンパンを水のように胃に流し込みながら、GOEMONは笑った。きっと彼が『万事屋』が送り込んできたエージェントなのだろう。新八と名乗る少年から依頼を承諾したという報告を受けて数日、時期的にも一致する。付かず離れずといった女性との付き合い方は、女遊びと勘違いして入ってきた新人にはない「慣れ」があった。
しかし、女の扱いが上手いだけでは売り上げは取れない。長年この世界でやっていたGOEMONは、何度もそういうホストを見てきている。その全員が自分には敵わなかったのだ。
トシの固定客が帰ったのを見計らって、GOEMONは彼を店裏に誘った。
「何ですか?話なら中で……」
急なGOEMONからの接触に彼は驚いてみせた。ここまで来ても一新人ホストを装うトシに、苦笑を隠せない。くすくすと笑いを零しながら、GOEMONは口を開く。
「君が万事屋か?なかなかの手腕だが、このままじゃトップは取れないでござるよ」
「…よろず、や?――何の話ですか?」
「そんな芝居もさすがでござるな」
「…………」
「でも、今回ばっかり任務失敗でござる。さすがの君でも僕を超えるのは無理でござるよ」
GOEMONはそれだけ言うと、トシをその場に残して店内へと戻る。テーブルから女性が待ちわびたように名を呼ぶ。次々とやってくる常連客を確認して、GOEMONは外に残してきた彼を嘲笑うかのように微笑んだ。
翌日、GOEMONは万事屋の新八とコンタクトを取った。待ち合わせは歌舞伎町一角の古びた喫茶店。人目につかないという点では評価できるが指定時間の10分遅れでやってきた彼に、新八は心の中で思いっきり毒を吐きつつ、笑顔で応対した。
「そっちは本当にやる気があるのでござるか?あのトシとやら顔はなかなかだが、それだけで僕が負けると思っているなら、それは勘違いも甚だしいでござるよ」
尊大な態度で言い放つGOEMONに、負けじと新八も言い返す。
「トシ…?貴方様が言っておられる方が、我が社のエージェントかどうかはわかりませんが、こちらは誠心誠意で依頼を遂行しておりますよ」
「君までそんな態度を取って…僕にはわかっているでござる」
GOEMONはまるで店で女性を相手しているときのように蠱惑的な眼差しを向けた。
「あの男がエージェントなんだろう?僕は彼には負けないでござるよ」
彼はそう言うと、伝票を持って去っていった。
「あーあー、自信満々だねぇ」
GOEMONが店を出るのを確認して、隣の席の男が口を開いた。重度の甘党である彼のテーブルの上のパフェグラスは既に空になっている。そして彼のもうひとつの特徴である銀糸は、その色を金色に変えていた。
「銀さん…。そっちの首尾はどうですか?」
新八は隣に視線を向けることなく問う。馴れ合っているところを見られれば、銀時が万事屋の一員であるとバレてしまうからだ。本来は、外で接触することはしないのだが、銀時がどうしてもGOEMONを直接見たいと言ったので隣の席で待機してもらっていた。
「ん〜、ボチボチってとこかな。ま、今月中には終わるだろ」
銀時は目の前のパフェグラスを指で弾いて笑った。
「それまではトシくんに頑張ってもらわねーとな」
+ + +
土方が『反侍』で働きだして3週間が過ぎた。
相変わらずGOEMONは売り上げトップを保っている。彼がライバル視する新人トシとは、差が開く一方で、モチベーションが落ちてきていた。これではいつもと変わらない。多少手ごたえのある新人や他店のライバルが出現しても、本気でやり合うには値しなかったのだ。今度こそ噂に聞く『万事屋』ならば、と期待していたが、所詮素人。気合を入れてトップギアで働いていたが、買いかぶり過ぎていたようだ。GOEMONはここに来て、その手を緩めていた。
「何だか客の入りが悪いな…」
そんな折、店の控え室でオーナーがぼやいた。視線の先には今月の売り上げのグラフがパソコンに表示されている。先月の売り上げと比べて、確かに今月の客の足が思うように伸びていないのは、日々のフロアを見ていてもわかる。今日も暇を持て余したホスト数名が控え室に待機していた。その現状に、たまたま休憩していたGOEMONは苛立ちを抑えることなく返答する。
「僕の数字は変わってない。他のホストが不甲斐ないだけでござる」
はっきりした物言いは、その場に居合わせたホストたちを震え上がらせた。彼らには自覚があるので何も言い返せない。先月までは達成できていたノルマが、遠いのだ。
「と言っても店の危機です。みんなで考えましょう」
重苦しい空気が漂った控え室に、トシの声が響いた。
「そ、そうだね」
雰囲気を変えようと努めて明るい声を出したオーナーの返事を、無に帰すように辛辣な言葉が遮った。
「そんなことレベルの低い君たちがすることだ。僕のやり方は何も悪くない。僕はこの街のナンバーワンでござる。それはこの数字が証明している」
GOEMONはきっぱり言い放つと、自分の客の待つフロアへ戻って行った。
「自分のことしか見えねぇってのも問題だな」
周りのホストの客が減っていることが、どういう意味かわかっていないらしい。タイムリミットまで一週間。この依頼は予定通りに完遂されるだろう。
土方はフロアに消えたGOEMONの後姿に確信を込めて呟いたのだった。
万事屋が期限と決めた月末がやってきた。反侍でも売り上げ成績が出るので、ちょうどいい。万事屋が送り込んできたエージェントだろう男とは、前日の時点で50万ほど差が出ている。それぞれの持ち手を考えれば、今日一日で覆すのは不可能な数字だった。今回もGOEMONが勝ったのだ。途中から手を抜いたのにも関わらず、あの男は最後まで一度も自分を追い詰めたりしなかった。本当に興ざめだ。
その日、GOEMONは少し遅れて出勤した。見慣れた出入り口を抜けると、そこには5年間、一度も見たことのない光景が広がっていた。
「なんだ、これは……」
開店時間はとっくに過ぎている。しかし、フロアにはほとんど客がいない。そこにはいつもは誰かしらいるはずのGOEMONの固定客すらいなかった。
他のホストは客の目も憚らず、フロアで営業の電話を掛ける者までいる。それほどこの状況は以上だった。
「どういうことだ!?」
GOEMONも我を忘れて怒鳴った。近くにいたホストの一人の胸座を捕まえて、鬼気迫った表情で問う。
「俺も詳しいことはわからないんですが…女の子に電話したら、今日は別の店に行くって…」
「別の店だと…?」
そのとき、店内にいた唯一の女性も席を立った。
「ど、どちらへ…」
接客をしていたホストが焦ったように声を掛ける。彼女は時計を見て笑顔で答えた。
「『ゴールド』に行く時間なの。貴方がどうしてもって言うから来たけど、あっちのほうがいいわ」
彼女はさっさと会計を済ますと、呆然と立ちつくしているGOEMONたちに軽く会釈をして去っていた。
ゴールドというホストクラブがあるのは知っている。だが、そこはたいして売り上げもよくなく、気に掛けるまでもない三流のクラブだったはずだ。それが急にどうして。その疑問はGOEMONだけでなく、どのホストも抱えていた。
「今日、ゴールドのあるホストの誕生パーティーらしく、それで客が流れているようです」
動揺するしかない彼らに、冷ややかな声が掛けられる。急な展開に頭が付いていかないホストたちの中で彼だけが冷静な態度を保っていた。
「と、トシ…!まさか!?」
GOEMONの頭の中に、ようやく『万事屋』の存在が浮かび上がった。自分は誰でもいいからライバルに値する人物を求めていた。その人物は、目の前にいる彼だと思っていた。しかし、もしかすると――。
「今月初めから入った"新人"らしいんですけど、かなり人気があるみたいですよ」
彼の一言にGOEMONは、自分の勝手な思い込みに気付いたのだった。
+ + +
「今日は来てくれてありがとう」
夜もすっかり明け、まっとうな人間であれば既に働きだしている時間。『ゴールド』の店前ではこんな光景が繰り広げられていた。
「金ちゃんの誕生日だもん。当たり前だよ〜」
金ちゃん、と呼ばれた男は、後方の店を一度振り向いた。店内へ続く通路はたくさんの花で溢れ返っている。昨夜は、ゴールドの人気ホストである彼の誕生日パーティーが盛大に開かれていたのだ。宴は盛況で、本来の営業時間を大幅に延長して対応していた。まだ数人の客がフロアで主役の帰りを待っている。
今まで飲んでいた女性客は眠たげに目を擦ると、呼んであったタクシーへと乗り込んだ。
「俺もあかねちゃんが来てくれて嬉しかったよ」
本日女性客の愛を一身に受けていた彼は、彼女の頭を数回撫でて優しく笑う。
「えへへ。また来るね」
「うん、待ってるから」
彼女が乗り込んだタクシーがその姿を消すまで、彼は手を振って見送った。
「何だよ、その頭は」
男の後姿に冷ややかな声が掛けられる。凛とした声音。聞き覚えのあるその声に金ちゃん――もとい銀時は後ろを振り返った。
「どうも、歌舞伎町ナンバーワンホスト坂田金時です」
銀時が名乗った偽名に、それでか、と思う。趣味の悪い金髪は本来の名前である銀時に掛けてあったらしい。
「……ホラよ。『反侍』の最終売上表」
「ご苦労、新人のトシくん」
揶揄するように源氏名を呼ばれた土方は、銀時を睨みつけた。切れ長の目が射抜くように視線を寄越しても、銀時は気にする様子もなく一枚の紙を開いた。そこには予想通りの数字が並んでいる。トップはGOEMONのままだったが、売り上げはかなり落ち込んでいた。自分とは比べ物にならないくらい、にだ。
銀時の計画は単純だが、嵌ればかなり強固な罠だった。カモフラージュとして送り込んだトシに目が行けば、GOEMONの注意は店内に向けられる。その彼が途中でそれほどの相手ではないとわかれば、GOEMONはやる気を無くすだろうと踏んだのだ。
「それにしても派手にやったもんだな」
ブロック塀に背を預けたままの格好で土方は煙草に火を点けた。彼の視線は銀時の誕生日祝いに送られたたくさんの花に寄せられている。勿論、今日が誕生日だというのも真っ赤な嘘なのだ。月末まで接戦に縺れ込む場合を想定して、数字の取れる誕生日を今日に設定してあった。最後の最後まで手を抜かないところは、土方自身、身をもって知っている。
「こっちはまだ出てないけど、この数字じゃ勝ちは頂きました♪」
銀時の形のいい唇が、「任務完了」の言葉を紡いだ。
「それにしても、ちゃっかりお前もそれなりの位置にいるじゃん」
にやりと笑った彼が指したのは土方の売り上げだった。GOEMONに察されない程度の結果でいいとは言え、入って1ヶ月目の成績にしてはいい方である。計画のために手を抜いてこれだ。
「俺が本気を出せばそのまま抜かせたかも知れねーぜ」
土方の主張はたしかに可能性はあっただろう。
「まぁね…でも舐められていた方が確率は上がるだろ。俺は用心深いの」
「……そうだな」
やはりこの男は頭がいい。土方は改めてそう思った。
彼の大胆な計画だけを見れば、丸腰で相手の懐へ飛び込んでいるようにも思えるが、それは全て計算されている。自分の腕に自信こそあるが、過信はしていない。
「で、その趣味の悪い金髪はいつまで続ける気だ?」
これほど多くの人気を集めてしまっては、急な幕引きも難しいだろう。しかしきっと銀時は逃げ道もしっかりと確保してあるはずだ。
「それなんだけど、トシくんもうちょっと協力してくんね?」
「金ちゃ〜ん、お見送りしてぇ」
銀時の声に、店内からの女性の声が被った。どうやら帰るようだ。一応ライバル店の『反侍』のホストであるため、見つかってはマズイだろうとその身を隠そうとした瞬間、土方は銀時の腕の中に閉じ込められた。
「なッ…、…!」
抵抗の言葉は彼の唇によって塞がれる。ぬるりと滑り込んだ舌に、思いっきり噛み付いてやろうかと思ったとき、ちょうど店から女性客が出てきて、今の状況をばっちり見られてしまった。
「きゃッ…」
「あ、もえちゃん!」
彼女が小さく声を上げたのと同時に銀時は土方を解放し、ばつが悪そうな表情を浮かべた。
「ご、ごめん……今の見た?」
「……うん」
土方の身体を少し隠すように立った銀時は完全に金時モードに入っている。急な展開に付いていけない土方は、彼を怒鳴りつけるタイミングを失ってそのまま黙り込むしかなくなった。
「実は俺ゲイなんだ。で、心配したコイツが見に来ちゃって」
「えっ!?」
これは彼女だけでなく、土方も目を見開いた。今度こそ怒鳴ってやろうと口を開きかけたとき、絶妙のタイミングで銀時がこちらを見た。
「あ………」
真摯な眼差しに今度も気が削がれる。再び言葉を失った土方を放って彼はもう一度、女性客に向き直って人懐こそうな笑顔を浮かべた。まるで金色の髪の間から犬の耳が垂れているような、女性の母性本能を擽る表情だ。
「頼むから黙っててくれねーかな?」
「う…うん」
彼女の先程までのテンションは一変し、少し困惑した面持ちでちらりと土方を見た。その視線は一瞬だったが値踏みするようなものだった。どうやら完全に巻き込まれてしまったらしい。
「これが逃げ口上かよ?」
女性が乗ったタクシーが視界から消えてから、土方はどすの効いた声で銀時に詰め寄った。
「そうそう。俺がホモだって知れれば、女の子たち引くだろ。それに店側だってそんなアブない男雇っておかないって」
確かに一理あるが、納得いかないのはどうしてだろう。土方がまだ憮然とした表情をしていると、それを見ていた銀時がにやりと笑う。
「銀さんに唇奪われちゃったのがそんなにショックだった?」
「はあ!?」
ぺろりと自身の唇を舐めた彼は、ますます皺の寄る土方の眉間を指でつつくと。
「ごめん、今金さんだったわ」
もう一度、土方の口元へ軽いキスを落としたのだった。
+ + +
それから数週間後の歌舞伎町の喫茶店。以前、GOEMONと新八が会った店で、再びふたりは顔を合わせていた。
「すまなかったでござる。僕は少し自分を驕っていたようだ」
あの一件でGOEMONは心を改めた。自分の数字ばかりを気に掛け、周りのホストやひいては店のことを考えていなかった自分に気が付いたのだ。徐々に閑散としていくフロアを、GOEMONは他人事だと思っていた。しかし客は正直だ。元気のない店内を見て、彼女たちは何を思ったのだろうか。女性を楽しませるのは個人ではなく、店で働く全員の仕事なのだ。GOEMONは入った当初の気持ちをようやく思い出せたと、新八に告げた。
「で、今回の依頼料でござるが……」
「いいですよ」
晴れ晴れとした表情で、新八は言い切った。
「今回エージェントが実際ホストとして働いていたときの給料もありますし、費用としてそれほど掛かりませんでしたので」
「いいのでござるか?」
「ええ。ただ、その『ホスト』についての言及は今後控えていただきたいのです」
「彼が『万事屋』だと言うことをだな?わかっているでござる」
「それだけ約束していただけるなら、御代は結構です」
こうして歌舞伎町では、彗星の如く突如現れ、たった1ヶ月でナンバーワンに上り詰めたあるホストの武勇伝が語られるようになったのだった。彼の素性は一切知れず、謎が謎を呼ぶ伝説のホストとして知れ渡った。そのホストは見事な金髪をしていたという。
「あ、お通ちゃんとは縁を切るように書かせればよかった」
万事屋オフィスで新八は先日GOEMONに書かせた念書を見て、そう呟いた。
「あーあ、結局そこなんだな、お前。珍しく金に頓着してねぇと感心してたら、すぐにこれだよ」
ふあ、と欠伸を噛み殺した銀時はソファーに寝そべりスポーツ新聞を広げていた。GOEMONの顛末を聞いて、いいことをしたと良心に浸っていたというのに、優秀な部下は何処まで行っても優秀らしい。感心して損したといわんばかり、大袈裟に溜息を吐く。
「何もそこまでしなくてもよー…」
ゴシップばかりが並ぶ新聞をぺらぺらと適当に捲っていた銀時だったが、突然はたとその手を止めた。
「…?どうかしましたか?」
「……いや、お前。本当に念書書かせておいた方がよかったかも」
「何が?」
新八の問いに銀時は新聞を突き出すことで答えた。彼が指差していたのは小さな記事で、見出しに「売れっ子ホスト、芸能界へ」とある。
「"歌舞伎町で5年間ナンバーワンを取り続けていたGOEMON氏が、今回タレントへ転身することが明らかに――"……え?」
「アイツ、芸能デビューするみたいね」
「ええええええッ!?」
万事屋に新八の悲鳴が響く。
そのうち彼がGOEMONと好意を抱くアイドルとの熱愛発覚の記事が載った新聞を持って、ぎゃあぎゃあと騒ぎ出しそうだ、と銀時は顔面蒼白になった新八を見て思ったのだった。
春日 凪
ホストネタは定番かなっと。