土方が一週間ぶりに万事屋に顔を出すと、事務所には気だるげな経営者の姿はなく新八だけが備え付けのデスクでせっせと書類を作っていた。
「あ、土方さんちょうど良かった」
土方に気付いた彼はB5のノートパソコンから目を離して、にこりと微笑む。しかし、その笑顔の裏に感じた何か嫌な予感は、おそらく勘違いではないだろう。ここに出入りして半年。そろそろ新八の性格も掴めて来た。
「銀時の野郎は?」
さりげなく話題を変える手段に出た土方だったが、彼はそれなんですよ、とますます笑みを深める。どうやら墓穴を掘ったようだった。トラブルメーカの銀時の話題を振った土方が悪いのか、面倒ごとを土方に押し付けようとしている新八が悪いのか。どちらにしよ、土方に断るという選択肢がないことだけは事実だ。
「任務が完了した報告書を出せって言ってたんですが、ここ数日連絡がつかないんですよ」
明日その依頼主に会うので、一刻も早く報告が欲しいらしい。
「いつも自由にしてる人ですけど、ココに来てる痕跡もないし、ケイタイに電話しても出ないですし、今回ばかりは僕も困り果てて」
「お前がどうにもできないなら、俺に出来るわけねーだろ」
そもそも土方は銀時の携帯の電話番号すら知らない。そんな自分に一体何が出来るというのか。土方はそう告げる。
「いや、居場所はわかってるんです」
「は?」
「どうせ自宅で惰眠を貪ってるんでしょう」
呆れ返ったように零した新八の言葉に、土方は「ん?」と首を傾げた。
「自宅って…あいつはココに寝泊りしてるんじゃねぇのか?」
土方が知る限り、銀時はいつもこの事務所にいた。奥の社長室…とは名ばかりで実際は銀時個人の私室で眠りこけているのが常だった。その部屋には毛布は勿論、買い溜めしたカップ麺や缶ビール、夕刊が置いてあって、まさに彼の住居といった感じだった。そのため、土方はてっきり銀時はここに住んでいると思っていたのだ。出来高の給料は悪くないとは言え、ギャンブルが趣味の慢性貧乏な彼が自宅を持っていると思っていなかったというのも正しい。土方は漆黒の目を真ん丸にして、素直に驚いていた。
「まぁ、ほとんどそんな感じですけどね…。一応、マンションに住んでるんですよ」
「へぇ……。そこまでわかってるなら何で志村は行かねぇんだ?」
「エージェントだからですよ」
彼はそう言いながら、ファイルの並んだ棚をごそごそと漁っている。しばらくして、一枚の紙とカードを差し出した。
「僕が万事屋だってことは依頼人にはわかりますよね。その僕が特定の誰かと繋がっていると、そこからエージェントの素性がバレてしまう可能性があるからです」
新八が差し出した紙には、手書きである住所が書いてあった。おそらくこれが銀時の自宅なのだろう。そして添えてあるのはカードキーだと予想がついた。
「僕と銀さんたちが接触出来るのはこの事務所だけなんです」
「だから"万事屋とは関係のない"俺が出向けと?」
「はい」
新八ははっきりと言い切った。彼の言い分は理解できる。この一歩間違えば危険に晒されるぎりぎりの仕事だからこそのプライベートな情報の徹底管理。幼い彼はその辺をしっかりと弁えていた。
「なるほどね。そんな理由じゃ仕方ねーな」
土方はカードキーと紙を受け取ると、万事屋を後にした。
一枚の用紙に書かれている住所は、意外にも高級マンションが立ち並ぶ一等地だった。その中でもトップクラスのセレブリティが集まっていると言われているマンションで、土方は何度もその文字を目で追った。
「ホントにここで合ってんだろうな…志村の奴間違った住所渡したんじゃねーだろうな…」
土方の頭の中にあのやる気のなさそうな銀時の顔が浮かぶ。よれよれのシャツに、ぐちゃぐちゃの髪の毛。そんな彼とこの豪華な住居はどうしても結びつかないのだ。
それでも手渡されたカードキーは反応して、大きな自動ドアが開いた。両脇のガードマンにヤクザであるはずの自分の方が気後れしてしまうなんて、部下たちに対して申し訳なく感じる。そのせいか土方は普段よりいっそう憮然とした表情で扉をくぐった。逆にその厳しい表情は、ガードマンたちには重役のように映ったらしい。初めて見る顔でもすんなりと通された。
微塵も揺れない高速のエレベーターでメモに記入されたフロアまで昇ると、目の前に広がった景色に土方はほうと息を吐く。その溜息は眼下に広がる壮観な景色への感嘆と、無駄に凝ったデザインに対する呆れからだった。各部屋に繋がる廊下は前面ガラス張りで、まるで雲の上に浮いているようだった。住居エリアが最高層に位置しているからこそのデザイン。その豪華な造りに、ますます疑惑は増す。ワンフロアに数えるしかない扉のうちから、紙切れに書かれた番号を探し出した土方は、重厚そうな扉の前で仁王立ちした。
「…サ、カモト?」
ドアの右に掲げられたネームプレートは『sakata』ではなく『sakamoto』だった。もう一度、新八から渡されたメモに視線を遣るが、住所はここで合っている。念のため、この階全てのネームプレートを確認したが、『坂田』の名はなかった。
いよいよ疑いの色が濃くなった銀時ホームレス説に土方は眉を顰める。新八に確認し直す方がいいのか、しばらく思案したが面倒だったので止めた。とりあえず、ここの住人を確かめた方が賢明だろう。土方はインターホンを押してみる。
「……………」
反応がない。
もう一度、ベルを鳴らしても住人が返事をすることはなかった。
「やっぱりな」
平日の昼間である。このような高級マンションに住むようなエリートが、この時間帯に家に居る方がおかしい。そして、あの銀髪はエリートでもなんでもない。反応がないということは、ここの住人が働き者で、つまりそれは銀時ではないということだ。新八から預かっていたカードキーは使わない方がいいだろう。不法侵入になってしまう。
しかし土方が踵を返そうとしたとき、微かにノイズの入り混じった声がインターホン越しから聞こえてきたのだ。
「…あ〜、どなた?」
「ぎ、銀時…?」
高性能なマイクが拾った声は、間違いなくあの気だるげな男のものだった。
「マジかよ」
土方は驚きを隠せなかった。廊下がガラス張りだというのにTシャツとトランクスというラフ過ぎる格好で出てきた銀時に通された部屋は、モデルルームのようにコーディネイトされており、ますます言葉を失う。百歩譲ってここが銀時の住居だとしても、部屋は散らかっているだろうという土方の予想は見事に裏切られたのだ。無頓着な彼が趣味のいいインテリアをひとつひとつ選んでいる姿を想像して、頭が痛くなった。
「ありえねぇ」
Tシャツの裾から手を入れて胸を掻き毟る銀時が、この場には不釣合いすぎる。勧められた革張りのソファーの上で土方は唸った。
「お前ね、俺にこんなとこ住む甲斐性があるはずねぇって思ってるだろ」
「当たり前だ。……少なくともこんなに片付いているはずがねぇ」
対のソファーに腰掛けた銀時は、苺牛乳の1リットルパックにそのまま口を付けている。コップを用意するのが面倒なほど手間を嫌う男が甲斐甲斐しく掃除などするはずもない。
「…ま、それはそうなんだけど」
銀時が放り投げた空のパックは、これまた豪華なオーディオラック脇のゴミ箱に綺麗な放物線を描いて消えた。
「お前も『快援隊』ってブランドぐらい聞いたことあるだろ」
「あ?…ああ」
快援隊というのは、世界各国で愛されている先鋭の高級ブランドの名前だった。最近では時計や財布といったアパレル全て扱っているが、本来はメンズの洋服が中心で、中でも仕立てがいいと評判のスーツは各国の要人やセレブが好んで着るというブランド界のトップだ。勿論、根は張るが土方も銀時も快援隊のスーツを持っている。それが一流の男だというステータスなのだ。
「それがどうしたよ?」
「そこの社長、俺の友達なんだよ。ここもアイツの持ちもんってわけ」
「…は?」
土方は出されていた麦茶を片手に、フリーズした。銀時は気にした様子もなく、淡々と話を進めていく。
「会社の拠点をニューヨークに移すときに、ここはセカンドハウス的なもんになっちまうって言うから、それなら俺が借りようかな〜って」
「………」
「どうせアイツ久々にこっち戻ってきても女のとこ行くし、日本に家なんていらねーんだよ。維持費も掛かるし、ハウスキーパー雇うぐらいなら俺が格安で借りるも一緒だろ」
「………」
「ま、お前の言うように片付けんのは面倒だから、月イチで掃除は頼むけど。それ以外ならただ同然ってわけ」
「……ちょっと待て」
流れるように話す銀時に手を上げて制した。にわかには信じ難い情報ばかりで土方の頭はパンク寸前だ。ひとつひとつ確かめるように、口を開く。
「快援隊の社長と、知り合いだと?」
「おお。俺がスーツ何着か持ってるの知ってるだろ?あれ全部サンプルの貰い物♪」
落ち着くために再度確認した事実は、更なる驚きの爆弾を投下していく。何から突っ込めばいいのか、普段は冷静沈着であるはずの土方にはわからなくなっていた。
「昔はアイツも一緒に馬鹿やっててさ。ま、こういう商売ツテだけは大事にしねぇとな」
「………」
驚くことさえ忘れて固まってしまった土方に追い討ちを掛けるように部屋に電子音が鳴り響く。それはこれまた豪奢な造りの風呂に湯が張ったことを教えていた。
「あ、俺風呂入ってくるわ」
「………」
土方は無言のまま、寝汚い格好の銀時を見送った。彼の頭にあるのは男としての敗北感だ。いくら他人の持ち物といえど、高級マンションは大きな武器である。用はバレなければいいだけの話で、女性を口説き落とすのに真実は必要ない。
「クソ、卑怯じゃねぇか」
本当のところ、顔も性格も自分の方が勝っていると自負している土方は、どうして銀時が自分と張り合うくらいに結果を残しているのか不思議で仕方ない。簡単に言えば、銀時には負けたくないのだ。
しばらくしてかちゃ、と控えめな音がしてバスルームへ繋がる扉が開かれる。先程と同様、トランクス一枚で現れた銀時に、土方の眉間には更に深く皺が刻まれた。
「そりゃこんなとこじゃ、お前も格好良く見えるだろうな」
「ん?」
「ココ夜になったらそうとう綺麗なんだろ?夜景。落ちねぇ女はいないってか」
土方は一面のガラス窓を指した。フロアで見たときと同じ、壮大な景色が広がっている。この景色ひとつひとつに明かりが灯れば、それこそ高価な宝石以上の輝きだろう。
「あ〜、でもここには連れて来ねぇよ?」
「は、何で?」
銀時は頭に被ったタオルで乱暴に髪を拭いた。タオルに隠れて表情は窺えないが、口調と同じで淡々とした顔をしているのだろう。
「仕事とプライベートは別。ストーカーにでもなられたら困るし」
「大きな武器じゃねぇか」
「そんなのに頼んなくても銀さん、モテモテだからね」
「言ってろ」
「それより、土方。こっちとこっちどっちがいい?」
銀時は奥のクローゼットからスーツを引っ張り出している。ハンガーに掛けられたふたつのスーツは例の『快援隊』ブランドだった。
「…ハァ。――そのシャツに合わせるならボルドーの方がいいんじゃねぇか?」
「そうね〜。秋も近いし」
いそいそと着替え始める銀時に、土方はひとつ溜息を吐いた。
不思議な奴だと思う。近いのか遠いのか、存在自体が雲のようで掴みどころがない。半年以上も肩を並べて、未だにわかることは変な奴だということだけだ。
「ん、どう?」
「普通」
「あっそ」
今日も何か仕事が入っているのだろう。先程までのだらしない男は、今ではその姿を微塵も感じさせぬほどきちっとした格好をしている。彼の特徴である天然パーマをワックスで遊ばせると、もう完全に仕事モードの色男だ。
「さてと。報告書、悪いけどお前が持って行ってくんねぇ?銀さん、お仕事あるから」
「……お使いかよ」
悪態を吐きながらも差し出された封筒を受け取る。銀時が外出の装いをしていた時点で、こうなるだろうとは予想できていたため、それ以上は噛み付かなかった。
「ご褒美やるし、ほらコレ」
そんな土方に銀時はにやにやと何かを放り投げた。反応でキャッチした手の中には先程のカードキーがあった。
「お前が持ってろよ」
「……なんで」
持つ意味がわからないと思いっきり嫌そうな顔をしてやれば、銀時は笑いを吹き出した。
「だって新八が持ってても使わねぇし。お前なら自由に出入りしていいぜ」
「……、…なんで」
「さぁ?」
その視線に色香を含ませるように目が細められる。空気が濃密になる感覚に、土方の背筋は震えた。いつものぐうたら経営者の銀時ならまだしも、今は身支度を整えた戦闘モードの彼である。妙に張り詰めた雰囲気は、冗談や悪態で乗り切れるほど軽くはない。こちらを見つめる強い視線に絡め取られる心地は、数ヶ月前のホストクラブでの熱いキスを思い起こさせた。
「……ふッ」
「!?」
「ふぁあ〜あ。まだ寝たりねぇなぁ」
銀時の豪快な欠伸で張り詰めた空気が一瞬で緩む。その瞬間我に返った土方は、頭に浮かんだ馬鹿な考えを振り払うかのように踵を返した。
「帰る」
「報告書、頼むね」
背に掛けられた言葉に返事をすることもなく扉を閉める。まるで逃げるように部屋をあとにしてから、土方は自分の持っているものに気が付いた。
「またやられた、か……?」
奴はわざと変な雰囲気を作り、早々に逃げ出したくなるように仕向けたのではないか。突き返すことすら忘れてしまった結果、自分はまんまとあのカードキーを手にしてしまった。
こうなってしまえば今更返すのも恥ずかしい。銀時の罠に引っ掛かったことを認めるわけにはいかないのだ。
ならば、せいぜい利用させてもらう。転んでもただで起きないのが土方である。口許に笑みを浮かべつつ、手中のカードキーをスーツのポケットへと仕舞い込んだ。
数日後、銀時の部屋で『となりのペドロ』鑑賞会が行われるのはまた別の話。
春日 凪
他人に寄生する男、坂田銀時。