年が明けて3日目の夜、銀時は自宅である都内の高級マンションで年始の特別番組を見ながらひとりでだらだらと過ごしていた。人を妬む心に休みはないとは言え、正月から働くのは無粋だという信念のもと『万事屋』は年始休みに入っている。新八は唯一の家族である姉と旅行へ出掛け、もうひとりのエージェント土方は本職の方の「行事」に参加していた。
そのとき、部屋のロックが解除される音が聞こえた。ピ、という電子音のあと開かれる扉。銀時以外にあの扉を開けるキーを持っているのはただひとりだ。
「あけましておめでとーさん、土方」
リビングへと足を踏み入れたのは、黒のコートを纏った土方十四郎だった。
「お前、組の方に行ってたんじゃなかったっけ?」
ソファーへ乱暴に放り投げられた質のいいコートをクローゼットに掛けてやる。コートを脱いだ土方は彼にしては珍しくシャツの襟元が開かれていて、露わになった首筋がほんのりと朱に染まっていた。
「行ってたよ。三日三晩の地獄のような酒宴にな……」
任侠の世界で年始の宴はかなり大きな行事ごとのようで、特に豪傑と称される松平の組長は何かとつけて宴会を開くのが好きだった。面倒臭いしきたりや慣例をさっさと済ました彼は、それから三日間、組員をつき合わせ酒に興じるのである。その参加は若年グループでもある「真選組」の平組員にまで至る。
「地獄って割にはそれほど酔ってねぇんじゃねーの、お前」
「まあな…、全員が全員潰れちゃ話になんねーだろ」
伝統を重んじる同業者がこの時期に攻めてくることはないにしても、最近の新宿はアジアマフィアの台頭も盛んになっている。彼らを心配して、土方は酒を控えることにしたようだった。それでも「松平組」ではまだまだ若人の彼である。兄貴分からの酌は拒みきれず、それなりには地獄を見てきたらしい。いつも鋭い眼光が、アルコールで鈍く緩んでいる。
「で、これは土産?」
珍しい彼の様子に苦笑を零しつつ、土方がコートとともにソファーに置いた物体を指す。藍色の風呂敷に包まれたそれは、明確な答えを聞かずとも形だけで分かる。一升瓶だ。はらりと結び目を解くと、想像以上に有名な日本酒のラベルが目に入った。
「ああ、とっつぁんが手土産にって。希少な大吟醸だぜ」
「いいのかよ?組員に分けたりしてやんなくて」
「未成年の奴だって居るんだ。あいつらには配れねーよ、勿体無い」
最後に零れた方が彼の本音だろう。うっかり漏らした可愛い本音に、自分のところに持ってきたことについては突っ込まないでいてやろうか。銀時は緩やかに口角を上げる。
「これに美人のお酌はついてくんの?」
せっかくの美味い酒だ、手酌酒では勿体無い。
「ま、そんなものよりかは酌のし甲斐があるな」
テーブルに置かれた缶ビールに視線を落とした土方は、銀時に勝るとも劣らない妖艶な笑みを浮かべた。



いい酒は口当たりもいい。清流のようにすっと流れる喉越しに銀時も土方も少しハイペースで飲み続けた。銀時はほぼザルだが土方は違う。ただでさえ飲んで来ていた彼は、しばらくするとうつらうつら舟を漕ぎ始めた。
「おーい、土方ァ?大丈夫か〜?」
「ああ?大丈夫に決まってんだろ。俺ァ、まだいける」
彼は案外しっかりとした口調でそう言って自分のコップに酒を注ぐ。だが、その手つきはどうにも危なっかしい。気を利かせてコップを握る手を支えてやれば、触るなとばかりにぱしりと弾かれた。
「オラ、おめーも飲め。どっちが強いか勝負だコラァ」
まだまだ素面の銀時と既に出来上がっている土方とではどちらが強いかは一目瞭然ではあるが、自分に対して何かと敵対心を燃やす彼はまだ勝負の続行を望んでいるらしい。ここで逃げるとあとあと煩そうなのでとりあえず杯を掲げる。それを見た土方はにやりと笑った。
グラスの角を合わせて再び乾杯を交わす。そのまま男らしくぐいっと煽った土方だったが、やはり手元が狂ったらしく唇の端から盛大に酒が流れた。
「オイオイオイ、おめーもう完全に酔ってるじゃん!」
「うわ、つめて…ッ、いや、熱い…?」
顎を伝って鎖骨の辺りにまで零れた酒を拭くこともなく、彼は「変だなー」とぶつぶつ呟いている。とりあえずティッシュを持って彼に近付いた銀時だったが、胸元を開いてその白い肌を目にしたとき、ふと魔が差した。
「ッ…!?」
そっと舌先を伸ばすと感じる日本酒の味と滑らかな肌の質感。勿体無いと言わんばかりに小さな滴まで舐め取ると、くすぐったさに土方が身じろいだ。だが、抵抗する気はないらしい。それをいいことに逆を辿って鎖骨から首筋、顎まで行き着くと、熱を孕んだ漆黒の瞳とかち合った。
「酔ってんのは、おめーじゃねぇの?」
ふっと湛えられる微笑は、男の劣情を煽るのには十分すぎるほど艶やかだ。普段、銀時に見せるのは冷徹な表情ばかりの男が、先の快楽を予感して色めきたっている。理性の膜が破れた土方はこんな表情をするのかと一瞬息を飲んだ。
「たしかに、酔ってるかもな」
「じゃあしょうがねぇな…」
銀時の目の前で薄い唇が弧を描いたかと思うと、それは自分のものと重なっていた。
「ン…、ッ……」
圧し掛かってくる体重を受け止める。彼の身体を支えるために背に腕を伸ばせば、角度を変えてさらに深く舌が差し込まれた。アルコールに濡れた舌先が銀時の口腔を探る。土方の指先が柔らかい銀糸をふわりと撫でて絡まる。一見女性を相手に施すような愛撫だが、まったく違う。こちらのペースなど問答無用で、性感だけを捉えて高め合う容赦ないキス。舌を絡めて、吸って、唇を噛む。互いに獣のように一心不乱に快楽だけを追っていく。女性はもっと優しいキスを好む。これは相手が銀時だからこそ、出来る戯れなのだ。
土方に主導権を握らせたまま、銀時は瞳を閉じた。身体の上では彼がいつもの仮面を脱ぎ去って情欲に染まった淫蕩な顔を見せていることだろう。この場で記憶に焼き付けてしまうのは勿体無いと思った。出来ることならアルコールではなく、自分の手で彼の理性の膜を破ってやりたい。本気とも冗談ともつかない考えを巡らせながら、銀時は土方の濃厚な口付けを享受していた。

「ん?」

徐々に土方の動きが緩慢になっていって、途中でぴたりと止まった。そっと目を開けて顔をずらせば、がくりと落ちる彼の首。直後に聞こえたのは予想通り安らかな寝息だった。
「お約束ってか?」
銀時は口元に苦笑を浮かべながら起き上がる。あのまま最後まで行き着くつもりもなかったため、この展開は予想出来ていた。ただもう少し遊んでも良かったとは思うが。
切れ長の漆黒の瞳が隠れてしまえば、彼はこんなにもあどけない。安心しきったように昏々と眠る土方の身体を抱え上げ、寝室へと運んでやる。大人がふたり並んでも余裕のある特注サイズのベッドに横たえると、眠りやすいようにジャケットを脱がして、シャツの袖口も緩めてやる。甲斐甲斐しく世話をしていると彼が小さく呻いた。
「ハイハイ。今日のことは忘れてやっから」
普段の彼が仏頂面で忘れろと釘を刺している姿が頭に浮かんだので、そう答えてやる。誓うように額に口付けを落とすと、銀時は寝室を後にした。


その日、銀時のベッドは初めて主人以外の重みを受け入れたのだった。


春日 凪



はじめてのお泊り


銀さんのベッド