季節の変わり目は体調を崩しやすいから気を付けて
立夏を過ぎたからと言って、すぐに夏が始まるわけではない。汗ばむ陽気の翌日に肌寒い日が訪れたりするのだから、かえって体温調節が難しい時期だと思う。こういう季節の変わり目には、うまく身体が順応しなくて体調を崩す者も多い。ただ、人並み外れた丈夫さを持つ万事屋の面々には、悪病の菌さえ怖れ慄き去っていくのだから、こういう心配は杞憂かもしれない。
今日も太陽はさんさんと照り、すぐそこまで来ている夏を感じさせる陽気となった。神楽は気付いたころには定春を連れて出掛けており、昼ごろを過ぎると新八も買い出しに行ってしまった。ひとりで家に居るのも味気ないと考えた銀時は、ある期待を胸に重い腰を上げた。向かう先は『真選組屯所』だ。人が集まるかぶき町とは違って、比較的緑の多い立地にある屯所なら、まだ涼しかろうと思いついたからだった。また冷えた茶と菓子受けくらいなら出してくれるだろうという下心もあった。
「何の用だ?」
だが、銀時の目論見は残念ながら外れることになる。彼を迎え入れたのは幸運にも恋仲にある土方だったが、本日の彼はすこぶる機嫌が悪いらしく、腕を組んだまま鬱陶しそうに言い放った。
「熱中症で今にも倒れそうなので、何か冷たい物出せや。つーか、アイスがいい。はーげんだっしゅのどるちぇね」
「帰れ」
銀時がこうし屯所に訪れること自体は数多くないが、大抵の場合彼は文句を言いながらも迎え入れてくれていた。それが今日は即答で却下。午後を過ぎ、どんどんと上昇する気温の中を歩いてきた恋人に対して何と酷い仕打ちだろうか。それが土方ではなく涼みに来たという理由であってもだ。
普段は開放している木製の扉さえ閉めようとした土方に銀時は食い下がる。ここまで来たら、うまく言い包めて冷茶の一杯でもせしめてやらねば気が済まない。
「お前、市民が目の前で困っているというのに見捨てるつもりかコノヤロー。税金泥棒も大概にしとけよ。市民の血税を使って夜な夜なはーげんだっしゅパーティを開くなんざ、暴挙もいいとこだぜ」
「そんな宴、誰がいるか」
「いらねーなら俺にくれよ。残さず食ってやるから。真選組副長さんに直々に頼まれたとあっちゃ、さすがの銀さんも断れねーからなァ」
「………もういい」
「ん?」
「勝手に茶でも飲んでろ。俺ァ忙しい」
あっさりと手を離した土方に首を傾げるも、銀時が問い掛けるまでもなく彼は自室に戻ってしまった。普段は何やかんや言いながらも自分とのくだらない会話を楽しんでいる節のある土方であるため、今日は本当に機嫌が悪いらしい。
――と言うよりも「いつも」の土方ではないような気がした。
「………しょうがねぇ奴だな」
銀時はふと浮かんだ考えに大きく溜息を吐くと、目的の場所へと足を進めた。




「ちっ…」
土方は点けたばかりの煙草を舌打ちと共に灰皿へと押し付けた。灰皿にはまだ長さの残った吸殻が山積みになっている。煙草が不味く感じてしまうのは、自分の体調が悪いせいだろう。それでも身に染み付いたヘビースモーカーの癖は取れないらしく、気が付くと再び新しいものを咥えている。先程からそれの繰り返しばかりだった。
目の前にある書類は一向に減る様子もない。ただ目を通してファイリングするという単純な作業だが、本調子ではない今の土方にとっては重労働となっていた。誰かに任せるにしても近藤はデスクワークが大の苦手であるし、沖田はいつの間にか姿を消していた。他の幹部は生憎出払っている。平隊士に説明をする手間も面倒で、結局は無理をしてでも自分で片付けた方が楽だという結論に達したのだ。
不味い煙草を吸いながら次の書類を手に取る。そんなとき、とろとろと文章を追っていた土方の後方の襖が開けられた。
「銀時…、邪魔すんな」
振り向けば銀時が手にカップアイスを持って立っていた。そして無言のまま部屋へと足を踏み入れる。勝手にしろとは言ったが、邪魔をされるのであれば話は別だ。訪ねてきた銀時には悪いが、今の自分には彼の相手をしている余裕などない。
「それやるから帰れよ」
誰のアイスかは知らないが、持って帰ればいい。そう告げても銀時は帰らなかった。あろうことか押入れを開け、布団を敷き出す。そして高圧的な口調で「寝ろ」とだけ口にした。
「ふざけんな、こんな真昼間から何考えて…」
「お前こそ真昼間から何考えてんだよ。そういう意味じゃねっつの」
彼は複雑そうに顔を歪めながら、有無を言わさぬ強引さで土方の身体を布団の中へと押し込むと、上に乗っかって手を伸ばしてきた。
「だからする気はねぇっ…。――!?」
ひや、と額の上に感じた冷たい感触に一瞬で動きが止まる。銀時が手にしていたアイスを触れさせたのだ。その冷たさに自分自身の体温の高さを自覚する。
「お前熱あるんじゃねぇの?」
そんな台詞と共に溜息を吐いた銀時はゆっくりと土方の身体の上から退いた。代わりに布団を深く被らされ、ぽんと優しく叩かれる。母親が子供をあやすときのような仕草に妙に胸がざわつく。
「微熱程度だ」
「ほら見ろ。やっぱあるんじゃねぇか」
「………」
銀時は今まで土方が居た場所へ座ると、ちらりと机の上に視線を落とした。表情は見えないが、きっと憮然とした顔をしているはずだ。
「調子悪いなら寝てろつうの」
土方の予想通り、彼の声音には微かに苛立ちが含まれていた。
「まだ仕事が残ってんだよ」
一度潜ってしまった布団の中は気持ちが良くて、到底出る気にはなれない。体は休息を求めているのは確かだ。だが視線の先の書類が現実を突き付ける。
「書類(これ)ならゴリラがやるってよ」
「近藤さんにやらせてたら、日が暮れちまう」
「沖田くんも手伝うって言ってたし、大丈夫だろ」
「………」
近藤だけでなく沖田にまで話をつけてきたのか。あの一瞬で自分の体調不良を見抜かれていただけでなく、ここまで根回しをして来たとは思ってもみなかった。だが自分の身を案じてくれて嬉しい半面、弱みを見せたようで悔しくもある。出来るのであれば、こんな自分を見せたくはなかった。感謝の気持ちよりも先に浮かんだ感情に土方は口を噤む。
「そういうの止めろよなァ」
土方の複雑な心境を察したのか、彼は再び溜息を吐いた。
「もっと信頼してやれよ。あいつらちょっと怒ってたぞ。人間なんだから体調崩すなんて普通のことだっての。弱みだとか思うなよ」
「ひとりで抱え込むな、もっと仲間を信頼しろ」どうしても自分ひとりで片を付けたがる土方に近藤がよく言う台詞だった。しかしそんなことを言われ続けて何年も経った今でも、こんな風に無理をしてしまうのだ。近藤や沖田が怒るのも無理はない。
「俺もちょっと怒ってるしな」
勿論、銀時もだ。
「……悪ィ」
「お?マジで熱あるんだな。素直に謝っちゃったよ」
「てめぇ、人が折角――」
土方の言葉は最後まで続かなかった。ひらりと大きな手が瞼の上へ乗せられる。銀時によって作られた暗闇は土方の身体を優しく包んで、ゆっくりと眠りへと誘う。アイスによって冷えた指先が、じんわりと熱を帯びていくのがわかった。
「喧嘩は元気になってからいくらでも買ってやるから。今は寝てろ」
「……金払えよ」
「へいへい」
「……ん」
それが勝手に頂戴したアイスに対してなのか、または、近いうちに再開されるであろう全快した土方とのいつもの口喧嘩に対してなのかは、わからないままだった。

「ホント世話の掛かる奴だな。アイスだけじゃ割に合わねぇや」
規則正しい寝息を背に、銀時は最後の一匙を口に運んだ。


春日 凪



「スロウ」と思いっきりネタ被りな件。