「油断したんだろィ」
捕らえた不逞浪士は近くの警察署に護送されていた。土方が取調べのために警察署に訪れると、先に来ていたらしい沖田は自分の顔を見て開口一番そう言った。
「遊んでやっただけだ」
一瞬で見抜かれた土方は、憮然としたまま答える。少し腫れてしまった頬と切れた唇は、「剣」で勝負が着かなかったことをはっきりと示しているのだ。強がって見せてもそれは肯定を示していて、沖田は更に揶揄する言葉を続けた。
「嘘言いなせェ。ピンチになるといつもその体質武器にしてんのは誰ですかィ?いい加減にしねぇと死人が出やすぜ」
わざと煽って手を出させたということもお見通しらしい。本当に目敏い男というか。土方を貶めるネタだけには敏感である。土方にしてみれば、その観察力を是非とも仕事に向けて欲しいところだ。
「うるせぇよ。斬られるかショック死か、どっちも似たようなもんだろ」
「怖ェお人だ」
そう言う沖田の表情には笑みが浮かんでいる。所詮、似たもの同士。土方と考えていることは大差ない。
「どうせ湿疹程度だろ」
死に至るほどの拒絶反応ならあの場で事切れているはず。土方の台詞に沖田は頷いた。
「だから痒み止めの軟膏を……」
「ぎゃああああ!いってぇ、沁みる…沁みるゥゥゥ!!」
「と、思わせてカラシ入りのワセリンを渡しておきました」
「お前も大概怖ぇ奴だな」
拘置所から聞こえる悲鳴に、土方は溜息を吐いた。
自分の肌に触れてアレルギー反応を起こした奴には何の思いも抱かないが、あの男に知られてしまったことは土方の中でかなり不本意な出来事だった。真実を告げた後、思いのほか真摯な表情で此方に手を伸ばしてきた彼を、土方は反射的に跳ね除けた。それは『接触による弊害』を防ぐというより、純粋に触れられたくないという思いからだった。同情とは違う、それでいて何処か哀れむような穏やかな目をした銀時に腹が立ったのかもしれない。
「副長」
どんどんと思考の深みに嵌まっていく土方を現実に呼び止めたのは山崎の声だった。沖田と共に取調室へ足を進めていた土方は、彼の普段とは幾分強張った声音に何か動きがあったと確信する。
「押収した物の中にこれが」
山崎が差し出したのは数枚の契約書と小切手で、ご丁寧に交わされた売買の内容と受取人の名前まで書いてある。小切手の受取主はとある電気屋だが、この店は以前からキナ臭い噂が立っていた。異国からの武器を秘密裏に捌いていて、過激派テロ組織の兵力になっていると囁かれていたのだ。しかし噂だけでは幕府も調査できない。実際は放置されていたのが実情である。
だが――
「これで動けるな」
これとない証拠に土方は満足気に微笑んだ。
「明日の朝だ。店とテロリストのアジト両方に乗り込む」
出来れば今日の検挙が知られる前に行動したい。上との兼ね合いと準備に要する時間を瞬時に計算して、土方は命を下す。
「山崎、この店主の逮捕状を取って来い」
「はいよ」
自分の仕事を理解している山崎は即答し、すぐに警察署を出る。
「総悟は屯所に戻って隊士に伝えろ。あとは原田あたりと話し合って、班を分けておいてくれ」
「久々の取調べだったってのに残念でさァ」
逆に人をいたぶることが趣味だと公言して憚らない男は、心底残念そうに答えた。
「明日は思いっきり暴れられるんだ。チャラだろ」
「俺の獲物持ってかねぇでくださいよ」
派手な喧嘩を前に気分が高揚するのは沖田も同じこと。今日の分の楽しみを明日に持ちこしてにこやかに笑って帰っていった彼の背にもう一度「怖い奴」と呟いて、土方はひとりで取調べに向かった。
拘束された十数人の中で、リーダー格と思われる男に話を聞かなければならない。例の小切手と契約書を懐に隠し持っていた奴だ。だが、彼も使い走りの小物だろう。テロを企てる本当の首謀者は別に居る。明日の朝までにアジトとテロ計画を聞きだすのがこの場に残っている土方の使命だ。置かれていたパイプ椅子に腰掛けると、殺風景な部屋に鈍い軋む音が響いた。
「お前の持ってた物は応酬させてもらった」
「ちッ……」
「今、部下が店側に事情を聞きに向かっている」
それは全くの嘘だった。
「店主がゲロっちまうのも時間の問題だな。あるいはお前らを切り捨てて保身を図る可能性もある……。まいったなぁ。まだ任意の段階だし、すぐには逮捕は出来ねぇ。だが、逮捕状が下りるまでに逃げられちまうかもな。そうなりゃ俺らはお前ら単独の犯行として処分するだけだが……」
それまで頑なな態度だった男の動きが止まる。所詮は小物なのだ。切り捨てられるかもしれないという自覚はずっとあったのだろう。そして、そうなるのは嫌だという惨めな矜持も。
「………」
土方はソフトケースから煙草を取り出した。沈黙に包まれた部屋で、フィルターを焼く音だけが聞こえる。じりじりと煙草が焦げる様は、追い詰められる眼前の男そのものだ。
「…………」
短くなる煙草。ふうっと大きく息を吐いて、土方は最後の言葉を口にする。
「ここでお前が全てをぶちまけりゃ、お前らが全て罪を被ることはなくなる。逆に捜査協力として、罪を軽減することも可能だ」
「……ほ、本当か?」
「ああ、自白も証拠のひとつだ。それがある限り、こっちは店主の言うことを鵜呑みには出来なくなる」
気付けば手にした煙草はたいぶ短くなっていた。土方はひとつ笑みを零すと、灰皿へそれを押し付けた。
予定通り彼から首謀者の名とアジトを聞き出すことが出来た土方は、簡単に調書に纏めると警察庁へ向かった山崎へ連絡を入れた。山崎には首謀者の男の前科について本庁の資料を屯所で配るように指示しておく。これで突入に向けての準備はある程度整った。だが、土方にはひとつだけ気に掛かることがあった。
それは、先程の取調べで男が言ったことである。
「これは事実かどうかわかんねぇが、親分は俺達にも秘密ですげぇ兵器を作ってるとか…」
「兵器?」
「ああ。俺達が使う武器の他に、見慣れない異国の部品が何百種類もあったんだ。親分はそれを何に使うか教えてはくれなかったんだが、俺達の中じゃ組み立てりゃすごい兵器なんじゃないかって噂が立ってたんだよ」
ただ、それを作っている場所も見当が付かず、真偽のほどは定かでないと言っていた。根拠のない情報に人を裂くほど真選組も余裕はない。だが無視も出来ない話だ。真選組でも天人の技術による新しい武器は使っている。だからこそ、その威力も身をもって知っている。
「……さて、どうするか」
実は土方にはひとつ心当たりがあったのだ。何百という部品を必要とするほどの規模ならば、とうてい一日そこらでは完成しないだろう。数日以上、部品や未完の兵器を放置していても自然な場所――。
土方は携帯で沖田に連絡をする。
「総悟、明日の指揮はお前が執れ。――俺か?俺は行くところができた」
銀時が万事屋に戻ったのは、その数時間前の話だ。
「あ、銀さん。平賀サンが来てますよ」
迎えてくれたのはいつもの万事屋メンバーのほかに、今となっては街の修理屋に落ち着いたからくり技師の姿もあった。
「オイオイ、指名手配犯が堂々来てんじゃねーよ。目付けられたらどうしてくれんだ」
自分は源外の工場によく出入りしているのを棚に上げて、銀時はさも迷惑そうに顔を顰める。それでも一応は縁のある人間である。話ぐらいは聞いてやろうと向かいのソファーに腰掛けた。
「銀さんもお茶いります?」
「おお」
台所へ下がっていった新八の横で、神楽が定春とじゃれ合っている。いつもの万事屋の風景だった。しかし、何処か落ち着かない。やはり土方のことが尾を引いているのだ。
土方自身が言ったように、彼は今不幸ではないと思う。近藤を始め、彼の周りに居る奴らは仕事に対して不真面目な点はあるが芯が通った男ばかりで、偏見や軽蔑なんて言葉には縁遠い。今、彼はあの場所に立てて最高に幸せなんだろう。だからこそ自分の土方に対するこの感情は同情でもなんでもないと断言できた。ただ気になってしまうだけなのだ。その理由が彼の秘密を知ってしまったからだとしても、哀れみだけでこんなに切ない気持ちになってしまうはずもない。
「で、何しに来たんだよ?」
ともすれば延々と考え込んでしまいそうな思考を遮断して、銀時は世話になっている翁へ視線を向けた。
「ちょっと頼みてぇことがあってな」
「依頼か?なら前金で……」
「この前、原チャリ直してやった代金貰ってねぇぞ」
「………」
「銀さん、まだ払ってなかったんですか?」
銀時が言葉を詰まらせたのとタイミング良く、冷やし茶を持って新八が出てきた。育った環境のせいか金銭関係にはめっぽう厳しい彼は、案の定銀時に冷ややかな視線を送っている。このままでは小言の攻撃に発展しかねない。
「あ、お茶?悪いね」
誤魔化すためにコップを受け取ろうとした銀時の手が、少し新八の指に触れた。
「!」
瞬間、頭を過ぎったのはあの黒い手袋だった。
「うわッ、銀さん!ちゃんと受け取ってくださいよ!」
しっかりと握ることの出来なかったコップが手から滑り落ちて、中身が床へぶちまけられる。慌てふためく新八を余所に銀時は触れた指を思い返していた。
「何なんですか、もう」
「いや、指が触れたなァと思って」
「当たり前ですよ。手渡ししたんですから」
「そうだな、当たり前だよな」
当たり前という言葉が重く感じる。日常生活でこういった予期せぬ接触は茶飯事で、たいして気に留めることはない。しかし、あの男はこんな些細なことにまで気を払って生きてきたのか。そう思うと、心苦しい。
「銀ちゃん…まさか」
「へ?」
「もしかして、僕のこと意識して……」
「はあ!?」
気が付けば、神楽も新八も蔑んだ目をしていた。汚らわしいものを見るような視線に何だか嫌な予感がする。
「不潔アル!不毛アル!」
「ずっとそういう目で見てたんですね!?」
「オイィィィィ!!なんでそうなるんだよ!?」
予感はずばり的中した。顔面蒼白になる新八と、何処か楽しそうな神楽。その横で定春が興味無さそうに欠伸をしている。
「ちょ、僕しばらく家に帰ります」
「新八、私も行くアル!思春期の少女には悪影響過ぎるネ!!行くよ、定春」
「ワン!」
ふたりと一匹は捲くし立てると銀時の言い分も聞かずにばたばたと家を出て行った。残されたのは誤解と水浸しの床だけだ。
「まったく勘違いも甚だしいな」
雑巾で簡単に掃除をして、源外に再び向き直る。さすが年の功とも言うべきか、彼はあの騒々しい遣り取りにも無反応だった。
「おいジーサン?」
「……俺は、その、もう、枯れてるから、相手は……」
「キモイ想像してんじゃねーよ、クソジジー!!」
前言撤回。どうやら衝撃的過ぎて動けなかっただけのようだ。
固まった源外に切々誤解だと説いて、ようやく本題に入ることが出来たのは、彼が来て1時間以上後のことだ。無駄な労力に、原チャリの修理代は踏み倒してやろうと決意する。
その源外が訴えたのは郊外にある廃工場のことだった。
数年前に潰れたそこは、からくり技師にとって宝の山だそうだ。要するに使えるスクラップが数多く捨ててあり、源外もそこで部品を集める技師のひとりらしい。
「そこで最近、不審な輩がウロチョロしているんだよ」
「不審?そんなのジーサンだって人のこと言えねぇだろうが」
鉄屑を漁る奴らに不審も何もないだろうと言いたい。
「ちげーよ、侍だ。鉄屑の山に侍なんてミスマッチ過ぎねぇか?」
「侍?」
銀時の脳裏には、今日遣り合った奴らが浮かぶ。源外いわく、使われていない倉庫らしき建物をぐるりと囲むように柄の悪そうな侍が立っているのだそうだ。特に調べなくとも何か裏がありそうなのは明確だった。最近出されたというテロ予告に関係しているとみて間違いないだろう。
「で、そいつらを退治してくれって?」
銀時は揶揄するように目を細めた。源外とて、かつては幕府に牙を向けた者である。その彼が今度は正義の味方に付くのかと、そういう皮肉を込めて。しかし、不躾な銀時の態度にも、彼はそれほど動じなかった。
「別にテロだの何だに興味はねぇよ。ただ何か起きて立入禁止になっちまったら困るからなァ」
ゴーグル越しににやりと笑う爺さんに、銀時も同じように笑った。
「よし、その理由でなら請けてやらぁ」
その先の眺め02