翌日、銀時は街外れの廃工場へと来ていた。
「ふぁあ〜〜。早すぎる…」
「うるせー」
時間はまだ早朝とも呼べる時間で、銀時は先程から欠伸ばかりしている。昨日早々に志村家に帰ってしまった新八と神楽は源外の話を聞いていないので、勿論この場にいるのは銀時と源外のふたりだけだ。不平不満も3つあれば聞き入れられやすいが、ひとりでは一蹴される。日頃の恩か、どうにも頭の上がらない源外に押し切られるように連れて来られたのだ。
「もうちょっと遅くてもよかったんじゃねぇの?」
「夏の昼間にこんなとこ来てみろ。暑くて焼け死ぬぞ」
たしかに辺り一面の鉄屑は昼間になれば熱を蓄え、地からじりじりと炙ってくるのだろう。それも嫌だが、普段昼過ぎまで眠りこけている身としては朝の眩しい日差しも苦手だ。銀時は本日何度目か分からない欠伸を噛み殺すと、スクラップばかりの地面を踏み締める。しばらくして敷地の隅に件の倉庫が見えた。
「あれか」
「いつもの侍はまだ居ないみてぇだな」
早朝ということもあってか、たしかに倉庫の周りをうろついている不審な姿は見受けられない。
「まぁ、中に居るかも知れねぇがな」
「どうする、銀の字?」
「とりあえず様子を窺ってくらァ。そうさな、30分しても俺が戻らねーなら警察でも呼んで来な」
物騒な話ではあるが、銀時の口調はいつもどおり軽い。源外も彼の剣の腕は把握しているため、たいして止めることもなく銀時を見送った。
足音で気付かれぬよう用心して鉄屑の落ちていない部分を歩く。稼動していた頃は、かなり大型の工場だったのだろう。広大な敷地に同じような棟がいくつも並んでいる。しかし今になっては荒れ果て、放置された大量のスクラップをワケありのからくり技師が拾いに来るか、人目を避けて不穏な計画を企てる輩の拠点になるかである。時代の流れとはシビアなものだ。
源外と離れて倉庫の入口がはっきりと見えるところまで来たとき、銀時はあの色を見た。
「土方?」
その影はすぐに中へ消えたが、この盛夏にあんな黒い上着を着ているのは彼しか思い浮かばない。やはり昨日の不逞浪士と何か関係があるのかと思い至ったが、捕り物にしては周りに隊士の姿は見当たらない。銀時の視界に入ったのは彼ひとりだった。
「何で……」
銀時の頭に嫌な予感が過ぎる。
彼は組を纏める立場のくせに、部下を使わずひとりで動くことが多い。実際昨日の追跡も彼はひとりで追ってきたではないか。たしかに単独の方が動きやすい場合もあるだろう。しかし行き過ぎれば、それは自身を危険に晒すことになる。銀時のように様子を窺うのではなく、ハナから突っ込んでいった姿に溜息が零れた。
「見てらんねぇなァ……」
幕府の役人がひとりやふたり何処かで野垂れ死のうが知ったことではないが、彼は別だ。奇妙な因縁、彼の秘密。そういうものをひっくるめて、銀時は土方を放っておけないと判断したのだから、そのあとの行動は簡単だった。
銀時は腰に差した木刀を抜くと、彼の消えた倉庫へと駆け出した。
土方の予想は的中した。件の廃工場は街からそれほど離れていないが、人気は少ない。奥の倉庫と思しき建物に入ると、昨日の男が言った通り、でかでかとそれはあった。幸運なことに巨大な兵器はまだ製作途中で、多くの部品や設計図が周りに散乱している。これが完成してしまえば、こちらはかなり不利な立場に立たされていたことだろう。
「へぇ、異国にゃこんなモンもあるんだな。上に言って、組にも入れてもらうか」
「貴様らのような志を捨て去った腑抜けに使える代物ではない」
「ふん、攘夷だ何だと言いながら天人の技術に頼るのは、その『志』とやらに反してねぇのかい?」
土方が振り向くと、威厳のある白髭を蓄えた初老の男と、彼を取り巻くように用心棒の侍が数多く立っていた。おそらく中心の男が今回の首謀者だろう。その身なりから自らテロ活動に参加するのではなく、資金提供と指示をしていたと思われる。金に物を言わせて、志とは無縁そうなチンピラまで雇っていて大きな口を叩くとは、完全に目的を見失っているらしい。
土方は嘲笑う。
「てめーらが遣りてぇのは、単なる戦だろ。異国の技術に、天人の力に、敵わねぇと折れた心の不満を喧嘩で晴らししたいだけだ。そんなことに民衆を巻き込むな」
それまで鎖国状態だった日本にとって、他の星の最先端の技術は常識を覆すほどの差があった。剣ひとつで戦ってきた侍と同じように、技術者も商人も農民も押し寄せる異文化の波に飲み込まれた。今まで自分たちが全てだと思ってきたものが否定され、次々と塗り替えられる日常に彼らは絶望したのだ。
「だからお前らは小物だってんだ。この国が天人に食われるとビビってるんだからよ。――ふざけんな。共生という言葉を自ら捨てて、駄々こねるなんて格好悪すぎるぜ?」
「幕府が天人に屈さなければこんなことにはならなかったのだ……!」
「それが格好悪いってんだよ。たしかに今の幕府はちと頼りねぇかもしれねぇが、民はたくましく生きてるぜ。異国の技術も文化も自分たちなりに取り入れて活用して、向上させてやがる。それの何処が天人に屈してるように見えるんだ?」
たしかに技術や文化は異国に比べて劣っていた。しかしそれらを柔軟に受け入れ、自身の生活をより良くしたのは自分たちであるとどうして気付かないのか。現実から目を逸らし、盲目的に他を批判するだけの輩の憂さ晴らしに市民を巻き込むわけにはいかない。
「ぐ…、貴様は幕府の狗だから理解できぬのだ…!」
「何とでも言えよ。てめーらの御託なんざ関係ねぇ。俺はお前らを処断するだけだ」
右の指先に歯を立てて、そのまま革手袋を外す。久々に外気に触れた手で左も脱ぎ去れば、周りの張り詰めた空気すら克明に感じ取ることが出来た。掌に伝わるのは柄の細部までの形。土方の相棒は主人の熱に応えるようにしっとりと馴染む。
「さァて、はじめるか」
すらりと抜き去った刀は土方の表情と同様、冷ややかな光を放っている。邪魔な鞘を放り投げたのが合図だった。
「殺れェェ!!」
襲い掛かる幾多の剣先をかわす。刃と刃がぶつかり合う鈍い音が室内に響いた。
「ちっ…」
ルールのない討ち合いは土方の得意とするところではあるが、今回ばかりは相手の数が多すぎる。しかも昨日の細い路地とは違って広さだけは十分すぎるほどの場所だ。背を取られることが命取りとなるため、自ら突っ込んで斬りにいくにはリスクが高すぎる。相手もそれがわかっているのだろう。多勢という武器を存分に使い、土方の隙を窺っている。焦れた土方が大きく踏み出せば、横からまたは背後から命を狙った剣戟が飛んでくるだろう。
「ッ……!」
深くない攻撃を跳ね除けるのでさえ、続けば疲労は増してくるというもの。耳元で鳴り続ける金属音が煩わしい。このまま行けば、土方の不利になることはあっても有利になることはない。そもそも気は長くない土方である。右からの攻撃をいなした瞬間、地を蹴ってそのまま男を斬り殺した。
「ぐ、……!」
勿論、予想した通り左側から斬り付けられる。腕をとられたとまでとはいかないが、その傷は深い。それでも足を止めるわけにはいかない。握り直した剣で、次々と敵を倒していく。肉を切らせて骨を絶つ――小さな傷ならいくらでも受けるつもりだ。だが踏み込んできた敵を逃すことはしない。
「つ、強い……」
対峙している彼らの目に怯えの色が映った。揺らぎ出した勝利への自信は、更に彼らの足を止める。土方の剣筋は更に精度とスピードを増す。ひとり、ふたりと地に倒れ、彼らに圧倒的な数の有利さはなくなっていった。
それを目にしていた首謀者の男は徐々に焦り始めていた。自分の周りを固めていた用心棒たちは組織の中でも腕の立つ者ばかりだったはずだ。しかし左腕に深手を負っているにもかかわらず、彼らを一撃で仕留めていく光景は、怒りを通り越して恐ろしかった。土方の刀が一閃する度、ひとつの命が消える。
「ち、ちくしょ…おおお!!」
「!?」
遠くで首謀者の男の咆哮が聞こえた。次に土方の横目に入ったのは、こちらへ向けられる銃口だった。
木刀を握っていた右腕が無意識に動いた。
銀時が倉庫へ足を踏み入れたとき目にしたのは、数人と遣り合っている土方と、彼に銃を向けるひとりの男だった。考える間もなく、その男目掛けて一撃を繰り出す。同時に場に響く破裂音。誰もがぴたりと動きを止める中、間一髪切っ先は銃を弾き、放たれた弾丸は天に向かってその軌道を描いた。
「飛び道具は卑怯だろ」
「だ、誰だ貴様…!!」
「どうも万事屋銀ちゃんです」
その場に居る誰しもが突然の侵入者に唖然としている中で、銀時だけが淡々と言い放った。
「ああいうのあんまり無闇にぶっ放さない方がいいぜ〜。当たると大変じゃん」
白髭の男の銃の腕がどうかは知らないが、あの位置で動く標的を打ち抜くのは無理があるだろう。仲間に当たってもいいと思ったのか、そんなことを考える余裕もないほど土方に怯えていたのか。理由はどうであれ、彼は最後のチャンスを奪われたのだ。これ以上、抵抗する術もないだろう。
「何でてめぇがここにいるんだよ……」
逸早く我に返ったらしい土方は既に残党を倒していた。懐紙で鮮血を拭う姿は、世間で囁かれている鬼の副長そのものだ。あの男が冷静さを欠いて強攻策に出てもおかしくないほどの迫力がある。
「そんなこたァどうでもいいだろ」
銀時はふと小さく息を吐く。今になってどっと恐怖と安堵が訪れたのだ。先程の光景はさすがの自分でも肝が冷えた。あと一秒でも遅ければ、あの弾丸は彼を貫いていたかもしれない。そう考えると木刀を握る手がじっとり汗ばんできて、銀時は誤魔化すように柄を肩へ引っ掛けた。
「さて、あとはアンタだけだ。観念しておまわりさんに捕まっちまいな」
この場に立つのは最早、土方と銀時と彼だけだ。あの男も馬鹿ではない。十数人をひとりで倒した土方と、一瞬で銃を弾いた銀時。相手をしたところで勝負は目に見えている。
「く、くくく…」
俯いた彼が不快な笑い声を上げる。嫌な予感に銀時も土方も得物を握り直した。
「真選組――貴様らが何を思い、我らを処断していくのか知らないが、これで終わりではない。私を殺しても同じ想いを持った同士はたくさんいるのだ」
土方を射抜く濁った目に、銀時は心の底から同情した。
攘夷志士、幕府の役人。肩書きなんて現実として意味のないものだ。幕府を嘆く者も、真選組の奴らも、自分の大切なものを守るために戦っている。それを見失った哀れな連中を、銀時はたくさん見てきた。目の前の男は彼らと同じ目をしていた。
「その時はまたコイツで黙らせるだけだ」
凛と響く土方の声音は、昨日と変わらない。銀時がそうであるように彼もまた自分の信念で行動している。だからこそ『今』に後悔も不満もないのだろう。
「さあ、話は屯所で――」
「自分の引き際は自分で決めさせてもらおう」
土方が手錠を出したのと同時に、男は懐からスイッチらしきものを取り出し、押した。
「私の目的はこれで幕府を潰すことだった。それが叶わなくなった以上、私はこの兵器と共に逝くよ」
「土方――!!」
直後に響く爆音に、彼を呼ぶ声が掻き消される。大きな爆発は次々と誘爆を引き起こし、辺りは物凄い音と煙で何も見えなくなった。おそらく中央に置いてあった兵器に大量の爆弾が仕掛けられていたのだろう。煙の中でそれががらがらと崩れ落ちるシルエットだけが浮かび上がる。その真ん中で男がにやりと笑ったような気がした。
「てめぇッ…」
「土方!」
もともと強度の高くない倉庫は、爆発の衝撃によって今にも崩れようとしている。これ以上、ここに居ては危険だ。犯人を追って更に奥へと踏み込もうとする土方を捕まえて、それを制す。
「………」
「もう無駄だ。とりあえず逃げるぞ」
あの至近距離で爆撃を受ければ無事で済むはずもない。銀時の言葉に軽く舌打ちをした土方だったが、迫りくる倉庫の崩壊はそこまで来ている。ふたりは無言のまま脱出した。
その先の眺め03