銀時と土方が脱出して数分も経たないうちに倉庫は瓦礫の山と化した。爆発と炎上で先程まで居た場所は見るも無残な姿となってしまった。あの男が望んだとおり、兵器も彼自身ももうこの世には残っていないだろう。真っ黒な焦土から立ち昇る煙は故人を送る狼煙のような寂寥を覚える。言い知れぬもどかしさに、ふたりはしばらくの間、何も話さなかった。
しかし、結末はどうであれ、問題のテロ予告は実行される前に阻止することが出来たのだ。この場に土方ひとりで現れた理由も問いただしたいのは山々だったが、あまり干渉しても煩わしく思われるだけだろう。銀時は終わりよければ全てよし、と思うことにする。
「ち、上着も駄目になっちまった」
視線の先で土方が忌々しく呟いた。廃墟での戦闘、そして爆発で黒のジャケットは見るも無残に汚れ果てている。こういう場合、真選組からクリーニング代が出るのだろうか、または新品が支給されるのだろうかと見当違いなことをぼんやりと考えていた銀時は、まだ彼の"状況"に気が付けずにいた。そんな銀時の目の前で乱暴にジャケットを脱ぎ去った下から覗いたのは、赤く染まったシャツだった。鮮やかな赤に混じる鉄の匂いにぎくりとする。間違うはずもない、血のそれだ。
「お前、それ……」
銀時は語尾を詰まらせた。シャツは引き裂かれ、露わになった腕から流れる赤い線は左手の指先まで流れて、ぽたりと落ちた。地に散った血痕にさあっと血の気が引く。先程土方が銃を向けられたときの恐怖がはっきりと蘇る。
「馬鹿野郎!」
気付けば彼の手を取っていた。使い物にならなくなっていたシャツを引き千切り、止血帯の代わりにする。
「ッ!?」
急に引き寄せられた土方は一瞬驚きの声を上げただけで、そのあと何処か唖然とした表情でそれを見つめていた。傷口は鋭利な刃で切られたことが幸いして、出血ほど酷いものではなかった。綺麗な傷は治りも早い。しかし利き腕ではないにしろ、この怪我であの立ち回りを演じていた彼の精神の強靭さには感嘆する。一瞬の隙が命取りな状況で、おそらく痛みを感じる以上に振るう剣に集中していたのだろう。だからこそ気が付かなかった自分が腹立たしい。彼は纏うその色で何でも隠している。
患部をきつく結ぶと、土方から小さく呻き声が上がった。
「とりあえずはこれで……」
「お前……」
一通りの処置を終えたあと、それまで黙っていた土方がぽつりと呟いた。
「…手、大丈夫なのか…?」
落とされた視線は銀時が掴んでいる手首に注がれている。銀時も同じようにそれを見て、「あ」と零した。
「お前、俺に触ってても大丈夫なのかよ!?」
今度は強い口調で土方が問う。銀時の手はしっかりと土方の手首を掴んでいる。そこはいつも彼を隠しているような上着も手袋もない、彼の素肌だった。銀時の頭の中に昨日の浪士が思い浮かぶ。土方を殴った手がまるで化学反応でも起こしているかのように爛れる。実際は湿疹程度のアレルギー反応ではあるが、理解の範疇を超えた出来事に悪いイメージだけが残っている。男が上げた叫び声も、その直後の土方の冷ややかな態度も、それを助長していた。しかし、今手に触れている熱はなんら他と変わりがない。同じ"人の体温"だった。
「大丈夫、…みてぇ」
自分でも確かめるように呟いた一言に、くしゃと土方の顔が歪んだ。辛そうにも嬉しそうにも見えた表情に、胸がざわめく。銀時の心情を知ってか知らずか、彼は無言のまま掴まれた手の上に逆の掌を乗せた。
「これでも…何ともねぇのか?」
まだ疑いを捨てきれないのだろう、探るように見つめる土方の顔には不安と期待が入り混じって、なんとも言えぬ色香を醸し出していた。普段見せる冷徹な役人の顔でも、敵対心に燃える開き気味の瞳孔でもない。まるで子供が母の温もりを恋しがるような、あどけない表情だ。彼に求められている――その事実に銀時の鼓動はどんどん高鳴りを増していく。
「あー、何ともねぇっていうか、むしろドキドキするみてぇな…?」
「ッ……!」
銀時の言葉に土方の手がさっと引かれた。好意から来る鼓動の高鳴りを不整脈だとでも勘違いしたのだろう。一瞬で強張った表情と遠ざかった体温に、こちらの心までも冷えていくような気がして咄嗟に逃げるそちらの腕も掴んだ。
「……何で、……ッ」
こちらに向けられた顰め面は精一杯涙を堪えているように映る。ここまで動揺する彼の姿は初めてだった。それほど『接触』が土方にとって大きな意味を持つのだと改めて認識する。攻撃するための手段ではなく、ただ相手を感じたいという純粋な気持ちをどう受け止めて良いのか、彼は戸惑っているのだ。
「いやいや、悪い意味じゃなくて良い意味………なのか?」
「疑問系かよ」
否、わざわざ自分に問うまでもなく答えは出ていた。土方の体質を知ってしまってから、銀時は彼のことばかり考えた。それは単なる興味本位でも、同情でもない。他人と接触をしない彼の懐に触れてみたいと思ったのだ。
「こういう意味、だろうなぁ」
漆黒の瞳がこちらを見ていた。ゆらゆら揺れるそれに誘われるように、銀時は土方に口付けた。
「っ、…なにすんだ」
触れたのは一瞬で、土方はすぐに顔を引いてしまう。しかし、掴まれたままの両手を振り払わないところをみると、そこまで嫌ではないようだ。どちらかというと、銀時の思いがけない行動に驚いてしまった様子だった。
「野郎にキスしちまうくらい、心地良いってこと」
捕まえていた手から力を抜いて、その肌の感触を味わう。土方はぴく、と身体を震わせたが逃げようとはしない。銀時はいよいよいい気になって、今度は額に触れるだけの軽いキスを落とす。
「お前は?男にキスされんの気持ち悪くねぇの?」
至近距離で覗き込めば、彼はばつが悪そうな顰め面でぼそぼそ呟いた。
「……男も何も、女とだってしたことねぇよ」
「………」
「何だよ、その顔は。馬鹿にしてんのか」
「いや、……そうか。そうだよな」
土方の肌に触れるものは誰も居なかったのだ。それは女性関係にしても適応される。あれほどモテる容姿をしているため失念していたが、心を通い合わせることが出来ても、あの体質では身体を繋ぐ行為は出来ない。
「…じゃあ、ファーストキスだ」
自然とにやつく顔を誤魔化せない。純粋に嬉しい。過去をどうこう思うほど大人げないわけではないが、男なら一度くらい真っ白な恋人を自分色に染め上げてみたいと思うものだ。
「てめーやっぱり馬鹿にしてんだろ!?」
不埒な想像は顔に出ていたらしい。土方は銀時の腕の中で声を荒げて噛み付く。
「違うって!喜んでんだよ」
「はぁ!?」
眉間にくっきりと刻まれた皺に、苦笑と共にもう一度キスを落とした。一瞬、逃げを打った身体を拘束する手に力を込めると、彼はずるずると諦めたように力を抜いた。
「な、んだよ、お前は……」
「わかんねーの?」
そのまま座り込んでしまった土方と一緒に銀時もしゃがみ込む。
「好きだからだろ」
人は他人の体温に触れることで安心を覚えると言う。ならば、彼に温もりを、安心感を与えられる唯一の存在が自分なのだ。そのことが素直に嬉しい。銀時の先程の言葉はそんな気持ちがするりと出た告白だった。
「…………はい?」
しかし、告白された側である土方はまだ事態が飲み込めていないようだ。本来なら抜刀でもしてぎゃあぎゃあと騒ぎ立てそうな彼が、あんぐりと口を開けたまま銀時を見つめている。
「俺なら土方以外の男とキスすんのは遠慮してぇし」
「……俺、以外と?」
「そ」
無防備なその表情に、もう一度キスしてやろうかと意地の悪い考えが浮かんでしまう。彼はその特異体質のせいで経験だけでなく『恋愛のいろは』なんてものにも疎いようだ。
「俺がお前にこうして触ってんのは、好きだからです。ぶっちゃけると興奮してきたからです」
「てめ…」
明け透けな銀時の台詞に土方はキツイ眼光を寄越した。だが、怒っているくせに腕の中から一向に逃れようとしないのは、土方も少しくらい同じように感じているからだと確信している。
「こうやってんの、気持ちよくね?」
薄いシャツ越しから伝わる体温を愛しく包むと、土方は大きく息を吐いた。
「まぁ…、あったけぇ、な」
するりと土方の指が銀時のそれに絡む。一度握り締めたあと、今度は掌を合わせられる。確かめるのは形、そして体温だ。銀時の熱が土方へ伝わるのと同調して、彼の表情がふわりと綻んだ。
「土方!」
「う、わ…ッ!?」
まさに子供が触れるものに興味津々といった行動だったが、土方も銀時もれっきとした成人男性である。更に銀時は彼に対する『欲望』を自覚したばかりなのだ。そんな表情を見せられては堪らない。銀時は急に湧き上がった情欲に流されるまま、唇を奪った。先程の唇を触れ合わせるような可愛いものではない。身体を腕の中に閉じ込めて、まさに奪うようなキスだ。どうしていいかわからない土方を逆手にとって、中途半端に開かれた唇の隙間に舌を滑り込ませた。
「ッ…、……!」
未知の感覚に土方の身体が震えるのがわかる。気持ち悪がっているのだろうか。それとも感じているのだろうか。拘束する腕が僅かに押し返される。そんな土方をあやすように背を撫でて、もう一度深く繋がった。抗議も罵詈もあとでいくらでも聞くつもりなので、今は多少の無理強いも許して欲しい。口腔の奥で縮こまっている舌を誘うように突くと、しばらくしておずおずと差し出された。
「…ん、んん」
狭く熱い口内で互いの舌が柔らかく絡み合う。少し物足りなさもあるが、初めて深いキスを経験している土方に求めるのは酷だろう。縋るように着物の裾をしっかりと掴んでくれているだけで十分だった。銀時の閉じた瞼の裏には、今までの凶悪な彼が映し出されていて、今腕の中で可愛く鳴いている彼とのギャップに更に愛しさが募る。愛しいと思う気持ちが高まれば、連動して欲望も高まるというもの。正直に反応し始めた下半身を自覚して、銀時は眉を顰めた。
「は、はぁ…、は……」
唇をずらすと詰めていた息が吐き出される。鼻で呼吸をすればいいのに、と思ったが彼は全てが未経験なのだ。そういう「マナー」も知らない。
「……よし!」
憮然とした表情をしつつも、熱に浮かされた土方の姿に銀時は覚悟を決めた。
「最後までするから」
それは自分の欲求を満たしたいという自分本位な理由ではない。土方が自分にとって特別な存在であることを認め、そして自分が彼の唯一の存在になるということだった。



その先の眺め04