『最後まで』という言葉が何を意味するか、この状況でわからない土方ではない。しかし彼は素直に銀時の後姿を追った。
覚悟を決めたものの何処か気恥ずかしさの残るふたりは、言葉を交わすことなく使われていない棟に忍び込んだ。先程の倉庫とは違って、がらんとした中に大型の機械が2、3設置してある。そのいずれも錆びつき埃まみれだった。流れ作業を行っていたためか、それらはベルトコンベアーで繋がっている。銀時は上の着流しを脱ぐと、それをハタキのように大きく振り回した。ばさばさという音と共に、機械に付着していた埃が吹き飛ぶ。
「どうぞ」
そのまま白の布地を敷いて、土方に腰掛けるように促した。彼は無言のままそれに従ったが、その表情には依然として戸惑いが張り付いている。緊張しているのか、それとも後悔しているのか。先程決めたはずの覚悟が揺らいでくる。銀時はたまたま土方の皮膚に反応しなかっただけで、そこに彼の意志はない。彼を想うのは自分だけで、理由をつけて手篭めにしようとしている。
「銀時?」
動きの止まった銀時に怪訝そうな眼差しが向けられる。強気な瞳に微かな不安が見て取れて、銀時は大きく息を吐いた。
「初めてじゃねぇ?俺の名前」
吐き出した息と共に迷いも捨てる。腰掛けた土方に覆いかぶさるように近付いて、揺れる瞳を捉えた。
「しらねーよ」
「もっと呼べよ」
「断る」
互いの吐息が掛かってしまうくらいの至近距離で交わされる会話は、その近さに反して色気がない。しかし、それが心地良かった。今の状況がたとえ熱や欲に流された結果だとしても、土方は土方だ。銀時は可愛くないことを言う唇を舐め、そのままゆっくりと合わせた。
たとえ自分がこの先の土方の選択肢を奪ってしまうとしても、その咎を背負い続ければいい。土方が身体の欲に負けて銀時を選んだとしても、そんなことを忘れるくらい愛してやればいい。彼が抱えている問題に比べれば、そんなことは些細だと思えた。
「ん、……っ」
何度か角度を変えると、控えめに土方も応じる。息の継ぎ方にも順応したようで、銀時が僅かに唇を離す際にひゅ、と空気が流れた。ふたりの呼吸がひとつになる感覚に心が満たされる。
「―ッ…ふ、ぁ」
土方の腕が自然と背に回された。もうそこには接触に対する恐怖も不安もない。心底、安心して銀時に触れている。伸ばされた腕は更なる熱を強請るように、銀時の後頭部へと回された。柔らかな銀髪を愛おしそうに何度も確かめられる。銀時は見えないところで笑みを深めると、毛先を遊ぶ彼を好きにさせた。
「…、はっ――」
肩越しに吐息が跳ねた。銀時の手が土方のシャツの中へ滑り込んだのだ。火照る身体に銀時の掌は冷たいらしく、手を移動させる度に小さく身じろぐ。次第に体温は移動して、土方の肌と銀時の掌の境界線はなくなった。
「ん、ン…。そんなトコ…」
銀時が胸の突起を執拗に弄ぶ。胸への愛撫は女性のような扱いで癪だと言う。土方の表情には少し嫌悪感が浮かんでいる。
「男だって感じるもんだぜ」
そう言って銀時は一度、手を離した。
「脱がしていい?」
「……今更」
シャツのボタンを外す手が心なしか震えている気がする。銀時のそれなりの恋愛遍歴も、今は全てが無意味に思えた。肌蹴た胸元にひとつ、ふたつと唇を落として、彼の纏う衣服を少しずつ剥いでいく。とても緩慢な動作だ。土方を焦らすというより、自分自身を焦らしている。ちりちりと胸を焼く焦燥と欲望が、身体の奥底でいっそう激しく燃え上がる。
「あッ……」
控えめに響く金属音に土方の視線が揺れた。肩に触れていた手がスライドして、ベルトを抜こうとしている銀時の手を掴んだ。
「…………」
「駄目」
無言の抵抗を撥ね付けて、行為を続ける。ベルトを抜いて留めてあるファスナーを下げると、いよいよ心許なくなって来た土方が恥を捨てて銀時にしがみ付いてきた。彼のことをよく知っているからこそ、何も言わずに受け止める。きっとひどく不安を感じているだろう。頭で考えていることとは裏腹に快楽に流される。それは初めてだろうが、何度目だろうが恐怖だ。
「あんま考えんな。気持ちいいことだけ……」
囁きと共に耳元へキスを落とした。そのまま甘えるように肩に顔を埋めると、土方が大きく息を吐くのがわかった。しばらくして、幾分落ち着いてきた土方も同じように顔を埋める。触れ合う肌を肌で確かめるように、摺り寄せる。だいぶ汗を掻いているはずなのに気にならなかった。
「お前も…脱げよ」
肩口に顔をくっ付けたまま、土方が呟いた。その声音は普段にも増して無愛想なものだったが、羞恥を誤魔化すためなのだろう。しかしバレている時点で、それはどんな睦言より甘く響く。
「俺だけがされるんじゃねぇ。お前も、悦くなるんだろ」
肩越しに小さく聞こえた台詞に息を飲んだ。
土方は共に快楽を分け合おうとしている。先程から花を手折るような罪悪感に駆られている銀時に、その言葉はじんわりと染み込んだ。自覚してか、それとも無意識か。やはり彼には頭が上がらない。
「で、俺も気持ちよくしてくれるって?」
変な敗北感を悟られたくなくて、出来るだけ軽い口調で問うた。一端、身体を離して土方が望んだとおり上半身裸になる。座ったままの土方はゆるゆると視線を上げる。
「じゃあ舐めてみる?」
銀時の意図するところを瞬時に汲み取った土方は、端正な顔を一瞬で赤らめて、そのあと悔しそうに唇を噛み締めた。
「嘘、冗談。して欲しいけど、今はいい」
脱いだシャツを放り投げて、銀時は土方に跪くように屈んだ。眼前にある綺麗な腹筋の隆起に唇を這わす。触れるたびに微かだが確実に返って来る反応が愛おしい。
「ッ…じゃ、あ何すりゃ……」
臍の窪みを擽るように舌先を遊ばせていた銀時は、土方のその一言に大きく息を吐いた。
「俺を受け入れてくれ」
「………」
「意味分かるか?」
「馬鹿にすんな」
特異体質のせいで経験こそ無いが、性知識を全く知らない子供ではない。不服そうに眉を顰める彼に苦笑すると、ますます怒りを煽ったようで戯れというには強すぎる膝蹴りを食らわされた。
「〜〜〜〜ッ!」
「此処まで付いて来て、断ったりはしねぇよ」
ふたりきりの空間に、凛と響く彼の声。それは路地裏で秘密を知ったときと同じく力強い。か弱い女性を相手にしているのではない。目の前に居るのは凶悪で仕事第一で傲慢な、ただ真っ直ぐに生きている土方なのだ。漆黒の瞳が銀時を強く捉えて、放さない。
「お前ね、俺がそういうのに弱いって知っててやってんの?」
「何で俺がお前の好みに合わせる必要があるんだよ」
傍若無人な態度も銀時を喜ばせる要因となる。彼が彼らしくあるほどに、銀時の胸には愛情と劣情が浮かぶ。
「なら――」
もう言葉は要らないとばかりに深く口付けた。
「ん、…っふ」
熱を持ち始めた彼の性器を布越しに揉み扱く。合わさった唇の隙間からあえかな声が零れる。もどかしく片手で下着をずらそうとしていると、土方も腰を上げて応じた。舌を絡めあう水音に布切れの音が混じって、更に熱が煽られる。ぎゅっと瞼を閉じた土方の長い睫毛が羞恥に震えている。露わになった中心へ指を絡めると、彼の身体が大きく跳ねた。
「はっ、……ん、ぁ」
反らされた喉を甘く噛む。手にした熱を弄ぶ。舌先で撫でる喉がひくりと鳴って、まるで猫みたいだと思った。背に回された手にも力が入って、ちりと皮膚を引っ掻く。
「う、――あッ」
恥ずかしさに唇を噛んで声を抑えても、すぐに快楽に翻弄されて喘いでしまう。その声が更に聞くに堪えなくて、再び噛み締める。土方は先程からそんなことの繰り返しだった。素直になってしまえばいいと思う反面、抗おうとしている姿も見ていたい。
「くッ…あ、やっ…!」
鈴口を擽ると、土方が駄々をこねる子供のように頭を振った。一際強く掻き抱かれて、はっきりとした痛みが背を走る。銀時の手中の脈打つ性器はもう限界を訴えていた。そのまま果てる瞬間を見たくて、扱くスピードを更に速める。
「や、ちょっと待っ…、ッ――!」
声にならない声で鳴いて土方が達した。
「あ、あ…、ふ…」
糸が切れたように倒れこんできた彼の肩口に触れる吐息は解放の余韻に震えている。初めて他人から与えられる刺激はどうやら身に余りすぎたらしい。射精と同時に無駄なプライドまで吐き出した土方は、何処かうっとりとした表情で銀時に身体を委ねている。その有り得ない姿に驚きつつも、今度は自分の欲を満たすために腰を上げた。
「あ……」
精液で滑付く指で土方の後孔を探る。力の抜けた身体はそのまま後ろへころんと倒れて、臀部が銀時の視線に晒された。
「っ、やめ、ろ…!」
「ホラ」
土方の意識を逸らすために口許へ逆の人差し指を触れさせる。
「舐めて」
きゅっと綺麗な眉が顰められたが、渋々といった風に舌が出される。ぬるい温度が指先を掠め、おずおずと絡まった。その隙に後ろの指を一本滑り込ませる。土方は一瞬身体を強張らせたが、すぐに指を舐めるのを再開した。
「ン……う、ん」
最初は毒見のようにぎこちなかったそれも次第に熱を帯び、まるで甘い飴を舐めているかのようになる。導かれた口内は熱く滑っていて、別の器官を連想させた。唇を使って吸うように出し入れされては、不埒な想像はますます加速していく。初めてのくせに本当に煽るのが巧い。仕返しに後孔を弄る指を少し乱暴に動かせば、指を咥えた唇からくぐもった声が漏れた。一度熱を解放した彼の性器は徐々に硬さを取り戻している。それと同じように後ろもゆるやかに花開く。解れたそこにもう一本差し込んでも、たいして痛みを覚えるようなことはないようだった。今度は口に含まれた指で歯列をなぞる。これはあまりお気に召さないようですぐに舌に絡め取られた。
しばらくそんな互いの身体をじりじりと焼く戯れを繰り返した。
ぽたり、と銀時の額から汗が零れ落ちて土方の腹の上で弾ける。その些細な音が銀時の頭の中に合図のベルのように響いた。
「――ふ、…」
口と後孔からそれぞれ指を引き抜く。ベルト上に横たわる身体を引き寄せて、自身の熱を宛がった。その瞬間その場の空気が凍ったように思考が冴えて、ああ繋がるんだ、と思った。
土方の反らされた喉元がひくと鳴って、そこに噛み付く。柔らかい肌に歯を立てる感触と、飲み込まれる感触が脳内でぐにゃりと交じり合った。冴えていたはずの頭は一気にその熱にやられる。脳味噌ごと持って行かれそうだった。
「っ……」
吐き出したのはどちらの息か。欲と快楽に塗れている。ふと視線がかち合って、奪い合うようにキスをした。身体のそこらじゅうが熱い。今、底から湧きあがる熱を土方と共有している。
「あ、くっ…ん、ぁ」
腰を打ち付けると機械が軋んだ音を立てる。しかしそれすら気にならない。銀時の五感を支配するのは土方だけだった。彼の熱、声、匂い――。頭がうまく働かない。
「く、クソっ…」
土方が腕を伸ばして銀時の頭を引き寄せた。
「う、あっ、ちくしょ、お前だけ、だッ…」
至近距離で落とされた台詞は文として未完成だったが、銀時には彼の言わんとしていることがなんとなくわかった。きっと同じことを思っている。全てが相手に塗りつぶされている。――ひとつになっている。
欲望の炎とは別に暖かな篝火が生まれていることを知る。人はこれを愛情と呼ぶのだろうか。じんわりと腹の底が熱くなって、土方を強く抱きしめた。
「ッ――――!!」
「く、……ッ」
そのまま熱は弾けても、胸に残る暖かい感情だけはずっと消えなかった。




それまで身体と理性を苛んでいた熱が引くと、次に訪れるのは冷静な思考だ。ゆっくりと身体を起こすと、戸惑いを含んだ視線とぶつかる。
「わ、悪ィな。こんなとこで……」
焦燥に駆られ身体を繋げるなんて、いい歳をして少し恥ずかしい。地に放り投げられた服が余裕のなさを物語っていた。彼もどうやら同じように考えているらしく、無言のまま距離を取った。気まずい沈黙がふたりを包む。
いそいそと自分の身だしなみを整えていた銀時だったが、横目に映った破れたシャツに、その手を止めた。土方の手にしていた白シャツはたしかに彼のものだが、血に染まり片袖が破けている。皮膚を隠さねばならない土方にとって、これでは意味がない。
「ホラよ」
一部始終を見ていた銀時は、自分の着物を彼へ掛けてやった。
「何?」
「汚れてて悪いけど、屯所くらいまでならこれで何とかなるだろ」
白地のそれは機械の油や土埃で綺麗とは言えなかったが、あれよりは肌を守るだろう。土方も何もないよりかはマシと考え、素直に袖を通した。彼の着流し姿を見たことはあったが、白い着物は初めてだ。微妙に似合ってないのが可笑しくて、甲斐甲斐しく帯まで結んでやる。
「……何笑ってんだよ」
「別にィ」
裾がはらりと揺れて流水柄が涼しげに踊る。いつも見慣れたそれが、何故か新鮮に映った。
「こんなダサい格好……。一端、屯所に戻らなきゃなんねーじゃねぇか。これじゃ現場検分出来ねぇ」
「ダサいってお前、モデルが悪いんじゃねぇの?」
「は?散々、俺の身体見といてよく言えるぜ。お前の方がヤバくなかったか?糖分取りすぎてぶよぶよ」
「ッ…!お前の目こそ節穴だろーが。何処?銀さんの何処がぶよぶよだったよ!?」
「触り心地?ちょっと柔らかすぎるんじゃねぇの」
「誰にも触れたことねーくせに誰と比べられるってんだ?あ?」
「くッ…、そういうのは関係ねぇだろ!?」
先程まで身体を繋げていたとは思えない剣呑な雰囲気が流れる。しかしそれが逆に安心できた。ヒートアップしていく言い合いに、自分は彼とのこういう関係も気に入っていたのだと思い知る。同情なんかでは決してない。銀時は土方の体質を知る前から惹かれていたのだ。
「俺ァお前と喧嘩してる暇なんざねーんだよ!」
「そりゃこっちの台詞ですぅ。ジジイに代金を請求しに行かねーと」
怒りに染まった足音をユニゾンさせて工場の扉を開けたふたりを迎えたのは、たくさんの破裂音と祝福の声だった。
「おめでとうございやす〜〜〜」
「「……何コレ?」」
白熱していた銀時と土方も気が削がれて、呆然と立ち尽くす。
出てきたふたりを取り囲むように立つ男たちは真選組の面々で、誰もがクラッカーを手にしていた。先程の破裂音はこれか。紙吹雪やテープが無遠慮に降り掛けられて、ふたりは顔を顰める。そして後方に飾ってある横断幕にはこんな文面が踊っていた。
『祝!! 土方副長、童貞処女喪失』
その文字を目にした土方の空気がぴしりと凍る。御丁寧に童貞の部分には斜線が引かれ、処女とまで訂正してあった。つまりは、この建物の中で行われていた行為が全てバレているということだ。これにはさすがの銀時も言葉を失う。
「もし土方さんの身体が治ったり、反応の起こさない相手が現れた暁には、こうやってお祝いしようと企んで…計画していたんでさァ。めでたいことですからねェ」
真ん前でお祝い―もとい嫌がらせをしているのは沖田で、考えるまでもなく計画の首謀者だろう。整った容姿で組一番の筆下ろしレコードを持つ彼ならではの皮肉な計画だ。
「お前ら、何でここに……!?」
「爆発音聞きつけて駆けつけたら、瓦礫付近に副長のジャケットが落ちてるじゃないですか。そりゃ心配で探しますよ!」
「じゃあ、旦那と遊んでるじゃないですかィ。心配した俺らのことも考えてくだせぇよ」
そう言う沖田の表情は楽しくて堪らないといった風だ。心配と言う言葉には縁遠い。それは土方もわかっているようで、怒りでぶるぶる身体を震わせている。堪忍袋の緒が蜘蛛の糸のように細い彼のことだ、もうすぐ切れるだろう。
「良かったですねィ土方さん。これで大人の仲間入りですぜ」
土方の肩をぽんと叩いた沖田の後方に黒い尻尾が見えた気がした。
「旦那もこれからも末永く良くしてやってくだせェ」
「え?俺?」
「そ〜う〜ご〜」
まるで地鳴りのような怒り心頭の声に、沖田は更に嬉しそうに破顔する。悪魔の笑みだ。
「てンめぇぇ〜〜〜、たたっ斬ってやる〜〜〜!!!」
「ふ、副長〜〜〜!?」
土方が斬りかかるより早く沖田は駆け出していた。抜かれた切っ先は横断幕を裂き、端を持っていた隊士たちが悲鳴を上げる。
ブチ切れモードの土方に怯える者、慌てて止めようとする者、沖田の笑い声と土方の唸り声。全てが入り乱れて収拾がつかなくなったその場を銀時は少し遠くから眺めていた。

土方が沖田を追う。
動きに合わせて白地の布がひらめく。
いつも黒の色を纏っていた彼が、今は夏の日差しを浴びてきらきらと白く輝いている。

「いい眺めだァな」

銀時は眩しそうに目を細めて、呟いた。



春日 凪



童貞土方が書きたかったんです。ただそれだけです。


その先の眺め05