大江戸市に暮らす土方さん一家のわんこ「銀」は変わった趣味を持つわんこです。
実は銀は十四郎くんが履いていた靴下が大好きなのです。
そんな銀と十四郎くんの、他愛もない日常のお話です。
その日、大江戸市は白いベールに包まれました。
「ゆーきやこんこ、あられやこんこ♪」
歌いながら家を飛び出してきたのは、土方さん一家の息子・十四郎くんです。雪化粧をした街並みに、きらきらと目を輝かせています。そして、その後ろで同じように瞳を輝かせているのがわんこの銀です。
銀が土方家に来たのはちょうど2か月前、秋の頃の出来事でした。それから季節は変わり、十四郎と銀にとっては初めての冬、初めての雪です。
「ふってもふっても、まだふりやまずー♪」
ふたりは近くの公園へ遊びに行くことにしました。地面を蹴る度に、さくさくと小気味いい音が響きます。
「いーぬはよろこび、にわかけまわり♪」
後ろから付いてくる銀の尻尾がそのリズムに乗って左右に揺れます。銀色の尻尾はふわふわできらきらで、まるで足元の真っ白な雪みたいだと思いました。でも、雪とは違って触ったらとても温かいことを十四郎は知っています。
「ねーこはこたつで、まるくなるー♪」
「わんッ!!」
「うわっ!」
目的地の公園に着くや否や、銀は十四郎に抱きついて来ました。しかし、まだ小さな十四郎はきちんと銀をだっこすることが出来ません。案の定、銀の身体を支えきれずにふたりは雪の絨毯の上に倒れ込んでしまいました。
「銀ー!!」
「わんわんっ!」
ふわふわの新雪のクッションで思ったより痛くありませんでしたが、雪が服の中に入り込んでしまって冷たいことこの上ありません。怒って声を上げても、銀はご機嫌な様子のまま鳴くだけです。
「う〜〜」
首筋に付いた雪が冷たくて唸っていると、銀が自分の頭を十四郎の肩に埋めてきました。
「わぅん…」
十四郎の耳元で銀が喉を鳴らします。雪が付いて温度の下がった肌を、銀自身が温めてくれているのでした。銀の髪の毛は尻尾と同じで、柔らかくくるくるしています。その感触がくすぐったくて十四郎はつい笑ってしまいます。
「くすぐったいよ、銀」
「わう」
離れてしまった十四郎に銀はちょっと不服そうな顔をしました。でも、顔を歪めたのは一瞬ですぐに笑顔に戻ります。ただ、先程の純粋な笑顔とは違って何かを企んだような悪い人(犬?)の笑みでしたが、十四郎は気付きもしませんでした。
「わうわうわーん!!」
「わぁ!?」
次の瞬間、十四郎の目の前が真っ白に染まりました。銀が雪を掬って十四郎へと掛けたのです。もちろん顔から盛大に被った十四郎は顔を真っ赤にして反撃に出ます。
「も〜、銀にも仕返ししてやる!」
十四郎が投げた雪玉はストライクで銀の顔に当たりました。
「わう〜〜」
今度は銀の番です。本気になった銀が雪玉を続けて投げてきます。何個か避けたものの、最後の一個が背中に当たってしまいました。
「負けるもんか!」
銀の目の色が変わったのを見た十四郎もまた本気モードに突入です。そうして、ふたりの雪合戦の火蓋が切って落とされたのでした。
「ただいまー」
「わふ〜」
へとへとになるまで遊んだ十四郎と銀は、壮絶な雪合戦の結果、全身を濡らして帰ってきました。
「あらあら、びしょびしょね。タオル持って来るから、濡れてる服はそこで脱ぎなさい」
玄関でふたりを迎えてくれた十四郎の母親は、そう残して脱衣所へと消えていきます。おそらくお風呂を沸かしてくれるのでしょう。お風呂の温かさや気持ちよさを想像した十四郎は、冷えた今の身体を自覚し、くしゅんとくしゃみを零しました。
「わうー」
「銀?」
真っ赤になった頬に銀がちゅ、とキスをします。自分の頬も銀の唇も冷たくて、間に何かを挟んでいるようないつもと全然違う感覚がしました。銀は寒いのか身体をぴったりと寄せて、十四郎のあちこちにキスをします。
「銀、じゃま〜。服、脱げない」
「わうわう(じゃあ俺が脱がせてやるよ)」
「へ?」
そのとき、一瞬だけ銀が何か喋ったような気がしました。でも、それは十四郎の聞き間違いのようで、相変わらず銀は「わん」としか鳴いていません。おかしいな、と思っているうちに銀は十四郎の足元にしゃがみ込んでいました。そして、いつものように爪先に歯を掛け、靴下を引っ張るのです。
「ああ!」
銀が十四郎の靴下を脱がして持って行くのは日常茶飯事ですが、今日は勝手が違います。雪の中、身体がびしょびしょになるまで遊んだ十四郎の靴下が、綺麗なままのはずがありません。それもまた濡れているのです。
「ダメだよ、それはすぐに洗濯に出さなきゃ」
しかし、銀は十四郎の制止も聞かずにするりと片方を脱がすと、間髪入れずにもう片方に手が掛けました。こちらも手慣れた感じで簡単に脱がせると、満足そうに靴下をがじがじと噛みつつ持って行こうとします。
「こら!それはちゃんと洗濯しなきゃダメ!」
十四郎が慌てて銀に飛びついて止めるも、銀は不機嫌そうに唸るだけで靴下を放そうとはしません。普段は銀の悪癖に寛大な十四郎でしたが、何故か今日の靴下だけは嫌なのです。
「だって汚いもん…!」
はっきりとした理由はわかりませんが、嫌だということだけはわかります。どうしてか、こちらが咎められているような気になってしまうのです。
「わう」
泣きそうになりながら縋りつく十四郎を見ていた銀は、一鳴きすると口にしていた靴下を床へと戻しました。その口元にはうっすら笑みが浮かんでいたのですが、半ば混乱状態に陥っている十四郎にはわかるはずもありません。
「わんわんわぅん?(代わりにこっち貰ったって文句はねぇよな?)」
再び銀が人間の言葉を喋ったような気がしました。でも何を言ったのかはわかりません。ただ、銀が大人の人間のように見えたのです。
「ひゃっ…」
十四郎がぼけっとしていた隙に、銀は裸足になった十四郎の爪先に口付けていました。冷えた足先は真っ赤に染まっていて、まるで小さな果実のようです。小さく丸い指が銀の口内へと導かれるその様は、さくらんぼを食べているかのように見えました。
「ぎ、銀……っ」
血のめぐりが悪かった足先が、銀の体温によって溶かされます。それまで寒さで何も感じなかったその場所に、じん、と痺れと共に熱が戻ってきました。
「――ッ…」
蘇った感覚器は、熱だけでなく感触までもはっきりと感じ取ります。爪先に絡みつく湿った温度、くすぐるように指の腹を撫でる舌の感触、それはもちろん十四郎の経験したことのないものでした。
「ぎ、ぎん…」
「わう?」
こちらを見上げる銀を見ていると身体は冷えているはずなのに、顔はとても熱くなって思わず目を逸らしてしまいました。遊んでいるときに頬や手を舐められても何とも思わないのに、こうやって銀が黙り込んで足を舐めているときだけは、変に落ち着かない気分になります。幼い十四郎には、何が何だかわかりません。
「き――」
沸騰した頭で十四郎が何かを紡ごうとしたそのとき、「お風呂沸いたわよ」と母親の自分を呼ぶ声がしました。
「……!!」
その声で我に返った十四郎は茹でダコのように顔を真っ赤にすると、自由な片方の足で銀の頭を蹴り飛ばし、一目散に浴室へと逃げ込みました。
「きゃうん…」
不意打ちを食らった銀はその場に倒れ込むしかありません。幼い十四郎の精一杯の反撃は、それなりにダメージを与えたようでした。ただ、銀はこれぐらいのことで飼い主の言うことを聞く従順な犬ではないのです。ぴしゃりと閉められたお風呂のドアを一瞥すると、銀はにやりと笑いました。
(とりあえず素質アリってことで)
「わうんわうん〜」
「あら、銀。アナタもそうとう冷えてるわね。十四郎と一緒にお風呂入る?」
これ見よがしに身震いをしながら母親に寄り添った銀の揺れる尻尾は、まるで悪魔のように見えたのでした。
春日 凪
無料配布でした。
書いてて思ったこと。わんこはいろんな意味で危ないということ。大佐はすごいということ。